昭和二十八年の賃上げ争議では、全日通で第二組合が結成され、同じく北電でも電産道本部を脱退した北電本店及び札幌支店分会を中心に北電労組が結成された(昭30電産道本部と統一大会)。日鋼室蘭労組が分裂した二十九年には古谷製菓労組も分裂し、三十二年に再統一するなど、激しい争議の過程で市内大手組合の組織状況も大きく流動化した。中央では三十九年十一月、同盟会議が新たに全日本労働総同盟(同盟)を結成し、以後、総評・同盟の二大組織の競争的関係が濃厚になり、道内でも、全道労協と道同盟の競争的対立関係が深まる中で北電労組が道同盟に加入した。また官公労では、四十一年、全道庁・全市連・町村連三者協議体(一三四単組)を母体に四万九〇〇〇人の自治労道本部が誕生し、北教組、炭労道本部、国労道本部をしのぐ道内最大の単一連合組織となった。
かつて官公労で最大の組織人員を擁し、激しい労働運動とたび重なる処分撤回闘争を展開した国鉄や郵政の組合には、四十二年以降、合理化計画に合わせて厳しい処分や、当局側による組織介入が行われた。札幌では四月、全逓を脱退した一〇四人が全郵政札幌郵政局支部、六月には同じく五二人が全郵政札幌中央郵便局支部を結成し、同年十二月、全郵政札幌支部となった(全郵政札幌支部30年の歩み)。さらに国鉄労組(国労)と動力車労組(動労=昭26機関車労組として結成)に加え、四十三年新たに同盟系の鉄道労組(鉄労)が結成されていた国鉄では、四十六年五月、鉄労札幌地本総局支部結成大会が開催された。
四十一年十一月、北農機の会社更生法適用と全員解雇で組合は解散し、その後、民間中小組合の分裂も多発したが、市内全体の組織数や組合員数は増加した。三十一年春闘以降、賃上げなど待遇改善に積極的に参加した全自交札幌連合会も、その後、経営側の介入や運動方針の違いから事実上分裂状態となったが、四十三年、一九単組によって札幌ハイヤー労連が再結成され(札幌ハイヤー労連結成大会議案書)、翌年には三二組合・四〇〇〇人となった(札幌ハイヤー労連情報)。四十五年春闘総決起集会では、大通西八丁目広場に営業車五〇〇台を出動させるなど(札幌の労働運動)高度成長下の経済要求運動の広がりの中で、四十六年の市内組合数は二十八年比で二・八倍、組合員数は四倍に増加し、全道組合員総数に占める割合は二五パーセントにまで上昇した(表9)。