占領下の福祉政策(序章参照)において触れたように、身体障害者福祉法は、GHQと日本政府との拮抗関係から、敗戦直後緊急を要した傷痍者保護のみならずすべての障害者のための対策の観点に立ち、二十四年十二月二十六日生まれた(二十五年四月一日施行)。二十七年の場合、同年施行の戦傷病者戦没者遺族等援護法と身体障害者福祉法に基づいて交付した「身体障害者手帳」は七三二冊であったが、翌二十八年、新たに二五九冊の交付があったことから、約一〇〇〇人が該当した。うち、戦傷病者は二一二人であった(昭28事務)。
援護の実施機関である福祉事務所において、相談、指導、措置(一八歳未満の児童については児童福祉法による)を行い、年々福祉の充実に務め、四十七年三月現在の「身体障害者手帳」所持者は、視覚障害一七一六人、聴覚平衡機能障害一六九六人、言語音声機能障害六七人、肢体不自由九〇六一人、内部障害一六九人の計一万二七〇九人であった。また、補装具として、盲人安全つえ、義眼、眼鏡、点字器、補聴器、義肢、装具、車いす、歩行車、安全補助ステッキ、松葉つえ等六三四件、公費負担・自費負担合わせて総計一一六五万六〇〇〇円にのぼった。更生医療給付費として、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由一四件、公費負担、自費負担合わせて総計七二四万九〇〇〇円にのぼった。身障(児)者の施設としては、児童福祉施設として二十七年、北海道整肢学院(昭37北海道立札幌整肢学院)が札幌郡琴似町山の手(現札幌市西区)に設立され、医療と教育を身障児に提供した。一方、身体障害者福祉法にもとづいて更生指導所が設立され、医療と生活指導と職業指導を総合的に提供するものであった。二十九年には内部障害者更生指導所(通称アフターケア)が、当初結核回復者のリハビリー施設として開設された。三十五年夕張市に端を発したポリオ患者の発生はたちまちに全道を席巻し、道民を恐怖に陥れた。このため、札幌市においても三十七年、札幌市マザーズホーム(現みかほ整肢園)を設立した。また、四十三年には身障者収容授産施設として美園更生園を設立した。四十六年度の場合、肢体不自由更生施設には、延べ二六〇人が、内部障害者更生施設には、延べ五五八人が、また身体障害者授産施設・重度身体障害者授産施設には、延べ五三三人が、重度身体障害者更生援護施設には、延べ八〇五人が通所あるいは更生訓練を受けていた(厚生事業の概要 昭47)。この他、点字図書館・盲人ホーム(札幌市福祉センターに併設)の利用も年々増加した。