昭和二十二年五月には『
ぼへみや』の後継誌のかたちで
佐藤初夫、
高橋秀郎らにより『
詩祭』が創刊された。六月には『
日本未来派』が創刊された。主宰の
池田克己は奈良県生まれで小野十三郎、岡本潤と交友をもち、
八森虎太郎と再会した札幌で発行された。北海道から
和田徹三、
小柳透、
坂井一郎、
伊東廉などが参加した。二十八年池田死去後は藤沢市に発行所を移した。七月創刊の『
至上律』は札幌に
疎開中の
青磁社から刊行され
更科源蔵と
青磁社の米岡来福が編集して二十四年二月の第七輯までを札幌で発行した。全国的な詩人の作品が大部分だが、北海道からは
阿部みつ、
日塔聡、
加藤愛夫、河邨文一郎らが作品を載せた。日本の詩の源流をもう一度確かめようとする傾向を示した。
写真-6 『至上律』