戦前の美術界をリードしてきたのは、北海道美術協会(道展)であった。戦後の美術界は、この道展と全道美術協会(全道展)の二大公募展の並立で幕を開けた。
全道美術協会は「北海道における美術文化の水準を高め、美術普及に貢献する純粋な公募展を作ろう」という北海道新聞社の提唱により、昭和二十年(一九四五)十一月(十二月という説もある)に結成された。会員となったのは、上野山清貢、菊地精二、木田金次郎、国松登、川上澄生等北海道在住の作家二一人である。二十一年六月に北海道新聞社共催で創立記念の展覧会を開催した後、十一月に第一回の公募展を開いた。同時に全道美術協会賞、北海道新聞社賞が設けられ、この回は前者が菊地又男、後者は鈴木伝が受賞している(北海道新聞二十年史)。
会員数も年々増加し、全道各地に支部が設立されるようになると、札幌での公募展の後に地方巡回展も行われるようになった。また、一〇回展からは美術映画と講演の会を開催し、国松登、岩船修三、北岡文雄、菊地精二、松島正幸等が講演を行い、「フランスの美術」「北斎」「近代フランス絵画史」「絵を描く子供たち」「ユトリロの世界」といった映画が上映された(北海道美術史 以下美術史と略記)。
このほか、三十二年には会員の指導による美術講習会の開催、三十五年からは高校・大学生を対象とする学生美術全道展を開催するなど独自の活動を続けた。