市内には円山、藻岩山の二カ所の天然記念物がある。いずれも原生林として学術的な価値が高く、都市近郊林としての風致価値も有していた。しかし一方では、開発の危険性も高く保護の必要性があった。
藻岩山は明治二十五年に道内を調査したサルジエントが、その著書『日本山林植物誌』にて高く評価していた。明治四十五年六月に松村任三郎、三好学ほかが史蹟名勝天然記念物保存協会会長徳川頼倫宛に提出した「北海道天然記念物及名所保存意見書」(河野常吉資料、道図)では、サルジエントが注目した桂の巨樹のことを引き合いに出し、四十二、三年頃、山麓の密林が払い下げによって伐木され、「我邦ノ学邦(ママ)上貴重ナル天然記念物ト札幌ノ美観ヲ為セル勝区トハ一朝ニシテ消滅スルニ至レリ。豈痛惜ノ極ナラズヤ」と、藻岩山に対する保護の必要性をつよく訴えていた。
藻岩山と円山は、大正四年七月三日に道庁の原生天然保存林の指定を受け、八年に成立した史跡名勝天然記念物保存法にもとづき、十年三月三日には国の天然記念物に指定となった。この時の指定面積は円山が五五ヘクタール、藻岩山が三五〇ヘクタールであり、野幌原始林も三二二ヘクタールが指定となっていた。
指定を受けた藻岩山であったが、昭和十九年に南斜面が国有林の戦時伐採を受け、戦後は二十二年に進駐軍が北斜面にスキー場を造成していた。工事は十月九日にいったん中止されるも、その後は札幌市が国体用スキー場として工事を継続し、十二月十八日に道によってスキー場の使用が許可となっていた(道新 昭35・7・15~18)。
藻岩山は市内や石狩平野を展望する景勝地として、観光にも利用されていくようになる。三十二年十月三十一日に藻岩山観光道路が完成し、北海道博覧会を控えた翌三十三年七月一日には、ロープウエイも開通していた。しかし、ロープウエイ工事にともなう展望台設置に関して、北海道文化財専門委員会からは現状変更に異議が出されていた。また、天然記念物内にロープウエイ建設許可を得るために札幌市は、北海道教育委員会との間でスキー場を閉鎖し、原生林に戻すことを約束していた。そのことから道教委では三十三年に、スキー場であった北斜面でのスキーを禁止したが、大回転用の恰好のコースとして解放がしばしば求められていたものの、道教委の文化財保存への強い意志によってコースは閉鎖され、原生林への復元がはかられていった。現在の藻岩市民スキー場は、その代替として南斜面に開設されたものである。
伐採などによって指定区域は減少し、現在の指定面積は藻岩山が二八四・六八ヘクタール、円山が四三・九一ヘクタールである。