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市文化財と清華亭

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 こうしたことが契機となって行政、市民の間に文化財の保護、保存の必要性がめばえていくようになる。また、文部省文化財保護委員会では、早くも昭和三十四年十月に豊平館、時計台、北大農場の重要文化財の指定を検討していた(道新 昭34・10・9)。
 道では昭和二十八年七月に北海道文化財保護条例、北海道文化財専門委員会条例を公布して、文化財保護・保存に着手していたが、札幌市では三十三年十一月に市文化財保護条例の制定の検討を開始し、三十四年九月に制定していた。三十五年九月に市文化財保護委員を発令し、十月五日に委員会の初会合が開かれていた(委員長今田敬一)。そして条例をもとに時計台、豊平館清華亭の三カ所が初の市文化財として三十六年六月七日に指定されており、文化財保護の道を開いた条例の意義は大きかった。
 清華亭は戦前期より「聖蹟(せいせき)」という観点から保存が推進されており、北海道史蹟名勝天然記念物調査委員であった河野常吉は、昭和二年五月に「保存ノ仮指定ヲ要スル史蹟」の中で、「御巡行遺蹟」として市内では豊平館清華亭(北7西7)をあげていた(河野常吉資料、道図)。清華亭の周辺は幽邃(ゆうすい)で閑寂な地であったので、開拓使では一帯を公園とし偕楽園と名付けており、清華亭は明治十四年に明治天皇が札幌を巡幸した際に、休憩所としてこの偕楽園の中に建設されたものであった。その後、園地や清華亭は民間に払い下げられ、荒廃していった。そのために昭和二年四月に清華亭保存会が結成され、建物を買い取り敷地も所有者横山庄右衛門から市へ寄付されていた。そして八年に明治天皇札幌御小休所として国の史跡の指定を受け、戦後、史跡は解除となったのであるが、今度は市文化財として保存されることになったのである。清華亭はその後、内部が改修されて、四十一年六月に集会施設として開放された。