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市立札幌病院の移転と諸体制の拡充

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 老朽化が著しい市立札幌病院は、昭和五十八年五月に旧第一病棟を改築し、地上六階地下一階、病床数八一〇床の新病棟が竣工した。その後の度重なる増改築にもかかわらず、人口の増加と疾病構造の変容などから患者数が増える状勢に対応して、建物の老朽と狭隘が問題とされた。六十三年三月策定された札幌市「五年計画」に改築移転が盛り込まれ、平成七年(一九九五)十月十一日、JR桑園駅北側の中央区北一一条西一三丁目に移転・開院となった。
 新病院は、診療科目も形成外科と歯科・口腔外科目を加えた全一八科目となり、地下一階、地上一〇階の建物は旧病院の一・七倍の広さを持ち、外来部門は診察室を七〇室に増やし、患者の増加に対応して診療待ち時間の短縮を図った。道央圏の救急医療の中核となる救命救急センターは、一般の集中治療室のほか、循環器系の重症患者用集中治療室を開設し、屋上には市内では札医大病院に次いで二番目のヘリポートが設置された(市立札幌病院百三十年史)。
 移転後は表25のように、外来患者は一日あたり八年には約二三〇〇人と旧病院時代の一・五倍に増加した。しかし、同病院の経営についてみると、昭和六十三年以降も単年度赤字が続き、それ以前も含めると累積赤字は平成六年に八三億八七〇〇万円に達した。赤字の原因は、地域の中核病院のために救命救急センター(平5・4・1指定)、未熟児センター、老人性痴呆症専門病棟(平6・4、豊平区所在の市立札幌病院静療院内に開設)など、一般病院では実施できない部門を引き受けていることも要因の一つであった(道新 平7・10・5)。その後、赤字は平成十一年度末には単年度二三億円を計上し、同年の累積赤字は一〇〇億円を超えることも確実で、「不採算部門を抱えているが、将来の医療法改正の方向性が不透明ななかでの大胆な改革には着手できない」(同病院事務局長の談、道新 平11・2・4)と、抜本的解決策はないまま自治体病院としての病院経営の厳しさも抱えていた。
表-25 市立札幌病院1日あたり入院・外来患者数
(人)
年度入院外来
昭471,0251,220
 511,0191,308
 559941,482
 591,0511,480
 631,0381,529
平 41,0331,528
  89362,293
 129272,384
『市政概要』各年より作成。
昭47年は各年中。


写真-6 体重423グラムの未熟児も元気に退院した市立札幌病院未熟児センター。
超低出生体重児の生存率は89%に上昇した。

 同病院は十年に臓器移植提供病院に指定され、十二年七月九日、道内初の脳死腎臓移植手術が行われた(道新 平12・7・10夕)。
 救急医療体制については、昭和五十八年に二四時間体制で重症患者を受け入れる第二次救急医療部を開設し、集中治療室や脳神経外科など四科目でスタートし、市医師会の夜間急病センターからの紹介も受けた。一方、人口一〇〇万人あたり最低一カ所に救命救急センターを整備することになり、心筋梗塞、脳卒中の重篤患者の医療確保には、国立札幌病院(白石区)が救命救急センターの指定を受け、五十九年四月から本格的な治療を開始し、市内の急患が搬送された。平成四年には白石・南両消防署に寒冷地向けの高規格救急車「トライハート」が配備され、救急救命士が行う電気ショックなどの高度医療処置ができる装備やスペースが付設された(道新 平4・12・1)。また、七年の新築移転を契機に敷地内に消防局ワークステーションが設置され、医師が救急車に同乗する体制が八年四月に開始した。
 そのほか、院内学級「ひまわり分校」は、昭和四十七年にネフローゼなど長期入院児童の学習の機会を保障するため独自に開設し、教員免許をもった職員を充てたが、四十八年には小学部が創成小学校の分教室の「病弱学級」として、さらに四十九年六月には中学部とともに「市立創成小学校・向陵中学校ひまわり分校」として開校し、五十年に小学生二人、中学生三人の第一期卒業生が巣立った。六十二年七月には校名が「市立東米里小中学校ひまわり分校」に変更された(市立札幌病院百三十年史)。平成七年に新病院に移転してからは、理科実験の設備がそろった特別教室やパソコン学習ができる視聴覚室など体験学習ができるようになり、入院中の小・中学生一〇人が在籍していた(道新 平7・12・13)。
 看護婦養成機関の市立高等看護学院は、昭和四十年三月に看護婦養成所として開校し、同年四月に市立高等看護学院として修業年限三年の高卒者を対象に開校した。四十三年には「保健婦・助産婦・看護婦養成所指定規則」の一部改正に伴い、看護婦養成所が各種学校として短期大学に準じた教育課程に整備され、五月に第一回卒業生を送り出した。定員は四〇人となり、四十七年七月に市立札幌病院所属となり、五十三年には道知事より「専修学校」に認可され、学校教育法による専門課程の設置認可を受けた。平成五年には学院の移転事業や将来構想に伴い、市立札幌病院から市衛生局に移管となった(多田眞千子 高等看護学院のあゆみ)。七年には市立病院の新築移転とともに、同学院も同敷地内の新校舎へ移転し、八年からは男女共学となり、十二年の第三三回卒業式では、初めての男子卒業生一人が女子三九人の看護士とともに巣立った(道新 平12・3・10)。