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注目の演劇動向

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 その時期の注目すべき他の動向をまとめてみた。
 それまで演劇の批評活動は、前出の『ほっかいどう演劇』『札幌芸術文化年鑑』と『さっぽろタウン情報』に昭和五十八年から六〇回連載された飯塚優子の「ミーハー劇通信」ぐらいだったが、平成元年に若い演劇人による劇評誌『Di』と演劇人と観客が語り合う演劇札幌座会が生まれた。座会は年一回の「座会賞」を出し話題となったが消滅、『Di』も一五号発行後、消えた。八年には地道な小劇場活動を継続するラグ・203が『劇評』を発行したが、これも短期間で廃刊してしまう。
 観客動員五~六〇〇が平均の市内劇団の中にあって、イナダ組が十二年『蒼き狼』で約九〇〇〇人を動員し、大泉洋などタレント群のTEAM-NACSも五〇〇〇人を集めるなど、驚異的な劇団も誕生した。動員数といえば、札幌駅構内のJRシアターで上演した、東京の劇団四季キャッツ』の四〇万人(平4)という記録は破られていない。変わり種は五年誕生のフルーツバスケット。日本舞踊やバレエと同じように、月謝をとって演劇を教えるという児童劇団である。タレントセンターや演劇を授業に入れる専門学校・短大も増えている。グループりらが昭和六十二年に札幌子どもミュージカルとして再出発し、次々と海外公演を重ね数々の賞を受けている。さらに平成十一年、こぐま座に専属のこども人形劇団ができた。

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写真-5 イナダ組「蒼き狼

 札幌の人形劇界にも大きな動きがあった。なかなか誕生せず念願だったプロ人形劇団えりっこが、二年から本格的に活動を開始した。それまでは人形劇団ひよっこが間隙を埋める役割をしていたが、今後は両劇団の活躍が期待される。それと共に伝統芸能の少ない北海道に、人形浄瑠璃研究会が七年に生まれ、十四年からさっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座と改称し、新作を増やす努力が続く。また昭和六十二年に大人の人形劇団プロジェクト☆ライオンを作り、チェコへ行った沢則行が、『マクベス』などの新作を抱えて来日を重ねており、今後が楽しみだ。
 演劇人個人としては初めての北海道文化奨励賞を昭和五十七年に受賞した劇作家・本山節彌が、平成十二年に道文化賞を受けている。演出家・鈴木喜三夫も六年に文化奨励賞を受け、翌年、戦後五〇年を問う「アンネ・フランク三部作」を連続公演した。ほかに詩劇で関わる詩人・原子修も文化賞受賞の一人である。
 照明家・新村訓平は二度目の日本照明家協会大賞(初めは昭和六十二年)を十二年に受賞し、第一回北の戯曲賞優秀賞作品『逃げていくもの』が舞台化され、十二年度の文化庁芸術祭・演劇部門優秀賞を受けた。珍しいのは九年に人形劇として初めて札幌市民芸術祭大賞を受けた、ばびぶ&てぶくろ『じろきちおおかみ』であり、それを喜んだ人形劇人・加藤博が十一年にサントリー地域文化賞を受賞している。続いて十三年秋、札幌人形劇協議会が道文化賞を受賞したが、その年一月に亡くなった加藤は共に祝うことが出来なかった。
 長く活動してきた演劇関係者の死去も続いた。劇作家・佐々木逸郎が四年、舞台監督・太田明彦が九年、同じ年に『どさんこ花子』をはじめ多くの芝居の振付をした札幌舞踊会・千田モト、十二年には多くの芝居に関わった元道新・竹岡和田男を失う。冥福を祈りたい。