[現代訳]

一、浅岡彦四郎様が坂城の陣屋にいらっしゃった頃のことである。寛保2年7月27日の祭日から昼夜大雨が止むことなく降り、佐久小諸の脇の深沢という大沢が大洪水になった。村は8月1日昼4ツ時(10時頃)から大洪水になった。水の深さは1丈2尺(3.5メートル余)との記録がある。家60軒が流され、潰家は29軒、流死者は158人だった。夫食(援助)金は8月から10月までに51両3分いただいた。当時の村の名主は彦右衛門である。住居は93軒だった。大洪水の後3年の間は千曲川の水が半分ほどは村の中を流れるようになった。今、大橋のあたりに農地に通うための小船があるが、この場所を「字越上り」というのはこのためである。