史料1 (寛保二年)八月六日 乍恐以書付ヲ申上候御事

     乍恐以書付ヲ申上候御事      1
一高百八拾四石七斗三升壱合
     内
   九拾五石五斗弐合    田方
              水深ヲ壱丈余
   八拾九石弐斗弐升九合  畑方
              右同断
     内
    八拾壱石程      永荒川欠
一道堰            堰砂て埋り
               村道損し申候
一田畑            田畑砂泥入申候
               畑方土洗流申候
一家拾弐軒          流家七軒
               つむれ家五軒
一籾百表           御蔵籾御座候故
  内            百姓数多物流申候
   弐拾四表水入申候
 右七月廿九日暮時より雨降り、夜中より朔日一日
 大雨ニ而千曲川満水仕、其上山沢より急水押出し、
 川通畑方之内菜大根木綿大豆水入罷成、田方
 之内水入仕候付、水入之田畑大方書付御注進
 仕候、尤地窪之場所いまた水引不申候間、水引次第
 反別相改追可奉御見分候、此度水入之分大方
 御注進仕候、以上
           笠倉村百性代 又 六(印)
   八月六日       組頭  六右衛門(印)
              組頭  利左衛門(印)
              庄や  九郎右衛門(印)
   中根官太夫様