江戸時代には名所図会と呼ばれる絵入りの地誌が、多数出版されています。『二十四輩順拝図会』もその一つと位置付けることができます。名所図会は安永9年(1780)の『都名所図会』に始まり、『大和名所図会』(1791年)、『東海道名所図会』(1797年)、『江戸名所図会』(1834年)などがあります。『二十四輩順拝図会』は前編が享和3年(1803)に、後編が文化6年(1809)に出版されています。
『二十四輩順拝図会』の信濃の部は、前編に収められていて、信濃の名所図会のさきがけとなりました。信濃関係の名所図会は、その後『木曽路名所図会』(1805年)と『善光寺道名所図会』(1849年)が出版されています。中でも『善光寺道名所図会』は、『二十四輩順拝図会』を参照していることが明らかです。『善光寺道名所図会』巻之四の、篠ノ井追分「立石の茶屋」の図は、『二十四輩順拝図会』巻之五の、篠ノ井の「追分の茶屋」の図を、ほとんどそのまま使用しています。同じく『善光寺道名所図会』巻之四の、「芝村阿弥陀堂」の図は、『二十四輩順拝図会』巻之五の「芝阿弥陀堂」の図によったものでしょう。