松川町資料館 伊坪達郎
『伊那繁昌記』は明治43年8月5日に発行されています。発行兼編集人は、長野県下伊那郡上郷村の吉川源美と同鼎村の志田啓太郎となっています。吉川源美は飯田町中ノ町(仲ノ町)に「擴榮堂」という店を持っていました。(ビューワ162コマの写真参照)営業科目として和洋菓子・エビス札幌麦酒・正宗壜詰・葡萄酒・薬種売薬・缶詰類などを商っていました。実家は上郷村南條です。志田啓太郎についてはわかりません。発行所は「擴榮堂」で吉川源美の店になっていますが、印刷は東京の印刷所になっています。
序文を読むと編集者は、「本書の内容が繁盛記という題名にあっているか、私はわからない。」と書き出しています。また「本書は何のために出たかといえば、ただこのようなものをこのように書いてみたというにすぎない。」と書いています。また「本書は主として広告を集めてあるところから一種の広告帳とでも言うべきであろう。」とも書いています。本書はどういう意図で発行するのか、編集をした人たちもはっきりしていない書物のようですが、発行を仕向けた人には何らかの意図があったものと思われます。一種の広告帳と書いていますが、前半の神社・寺院の紹介より、むしろ後半の写真部分の方が目的だったのかもしれません。
前半の200ページほどは、飯田町から始まって大鹿村までの1町41か村の神社・寺院を紹介したものです。その中で特徴的なこととして、まず一つ目はほとんどの村が神社・寺院のみの紹介ですが、それ以外の名所・旧跡などが付け加えられている町村があることです。飯田町では①飯田町の成り立ち②太宰の松③藤女(山口不二)④原稲太郎「飯田と韓国の気候梗概」などがのっています。上飯田村では①風越山②勝負平(大平街道市瀬の旧跡)、上郷村(飯田市上郷)では姫宮、松尾村(飯田市松尾)では松尾城址、大島村(松川町)では大島城址、山本村(飯田市山本)では二ツ山、智里村(阿智村)では①昼神の里②園原③神の御坂、下川路村(飯田市川路)では天龍峡、上久堅村(飯田市上久堅)では神ノ峯、大鹿村では宗良(むねよし)親王(地元では、むねながしんのうとも言う)遺跡などが特筆されています。二つ目は寺院より神社や城址などが比較的詳しく記述されていることです。これは出版された時期の世情を反映しているものと思います。飯田町の①長姫神社②愛宕稲荷社、上飯田村の①郊戸神社②大宮諏訪神社、松尾村の①県社八幡社②松尾城址、大島村の大島城址、浪合村(阿智村)の尹良(ゆきよし)親王社、下條村の①大山田神社②吉岡城址、上久堅村の神ノ峯城址、大鹿村の宗良親王遺跡などがくわしく紹介されています。もちろん寺院の中でも名の通った寺院は、文量も多くなっています。市田村(高森町)の瑠璃寺、山本村の光明寺、三穂村(飯田市立石)の立石寺、下久堅村(飯田市下久堅)の文永寺などは詳しく記述されています。
後半の180ページの写真集は、編者も書いているように、『伊那繁昌記』という名にふさわしい飯田町を中心とした商店・会社などがたくさん紹介されています。現在のような大型店はなく、飯田町では多くの専門店が並んでいた様子がわかります。目立つところを拾ってみると、町の中に多くの呉服店があります。また少し洋品店も出始めていたこともわかります。そして関連して太物・染糸・反物・古着・洋傘などの店も何軒かありました。食生活に関わっては、味噌・醤油・魚類・乾物・缶詰・酒類・米・穀類・菓子などを販売する店がかなりあったことがわかります。また西洋料理店や会席店、貸座敷業などもありました。この本の発行から100年後も飯田町内外で営業をしている店も何軒か載っています。沢村屋呉服店(知久町1丁目)・綿半(番匠町 現在の通り町1丁目)・柴田薬局(番匠町 現在は銀座)・竹内商店(銀座)・中村徳次郎商店(本町1丁目)・宮川紙店(知久町1丁目)などが掲載されています。このころいろいろな金融機関があったようで、百十七銀行・飯田貯蓄銀行・伊那銀行・八幡商業銀行などの名前が出ています。このほか小間物・雑貨・肥料・薬・陶器・書籍などいろいろな専門店がありました。
また飯田・下伊那の当時の名士たちがたくさんのっており、活躍していた人々について知ることができます。町村長・議員・医師・弁護士・経済人などが多く載せられています。
知名度の高いところでは、上柳喜右衛門(飯田町長・衆議院議員)・野原文四郎(飯田町長・飯田市長)・原耕太郎(飯田病院長)・吉澤利八(製糸家)・北原阿智之助(上郷村長)・高田茂(上飯田村長・県会議員)・大平小洲(画家)・瀧澤清顕(医師)などが載っています。
編者はその意図がわからないと言っていますが、前半では、飯田下伊那の神社・寺院・名所・旧跡などを概観することができます。そして後半の写真集では、明治後半の飯田下伊那の産業・流通などの様子や時代の変化を読み取ることができます。またどんな人物がこの地域で活躍し、人々をリードしていたのかといったことも知ることができます。『伊那繁昌記』というタイトルがふさわしいかどうかはわかりませんが、当時のいろいろな情報を読み取ることのできる書であると言えます。この書を基にしながら、いろいろ興味を持ったことを、図書館・博物館・資料館でさらに調べていかれることを期待します。明治以降の飯田・下伊那については、まだまだ分かっていないことが多くあります。ちょっとしたことも他の出来事や他の書籍に書いてあることとつなげてみていくと、新しい発見があるかもしれません。