吾等が天職

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          在学生   香 生
私は今より20年前、中部地方の一半島の農家に呱々(ここ)の声をあげた者である。思ひ出せば今より約7、8年昔の事である。御爺さんにつれられて約20丁ばかり隔だって居るあの鎮守の森の八幡宮に参詣に行った。
御宮には彫刻や額などが沢山つるしてあった。なんだか御宮程はあって、吾等が幼き胸にもなんとなく畏れ多い様な気がした。御爺さんは小さな徳利を神前に捧げて、そして私と一緒に又家へ帰って来て、八幡さまの御話や源頼朝などの御話しをくれた。
その時の私の心? 年こそは11、2の幼児とは雖(いえど)も、よくそれをのみ込む事が出来て、今尚ほ記憶に残って居る事である。
御爺さんの云ふには、御前へはこんな山の中で生れた者だから、どうしてもこういふ山の中に生活して行かねばならないと、何時(いつ)も何時も云って聞かせられた。その御蔭か知らぬが、つひつい何時の間にか山の人になってしまった。なんと愉快な事だらう。それ大自然に立脚して朝な夕なのあの鳥の声、虫の!秋の夕ぐれ雑木林の小路を行くと赤や黄に輝いて居る木の葉がきらきらとり、の実が落ちる。樹々の間から谷間の田がかすかに見えて黄金の浪がたゞよって居る。鳥でさへ馬鹿にする案山子(かかし)の着物が秋風にゆられて、なんとなく快感を覚えずには居られない。「それ山林に自由存す」だ、全くそうだ!吾等は此の大自然中に囲まれて生活して行くものだ、これは我等の天職である、なんとたのもしい事だらう。(9、27日)