廿周年記念号の終に

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古者有喜則名物示不忘也 (古へは喜び有れば、即ち物に名づけく、忘れざるを示すなり:注50)とは蘇東坡(そとうば:北宋の詩人・文章家)、喜雨亭(きうてい:注51)に誌せるところ。人情かくあるべし。今の世例少きを記念日とて懐旧の便りとす。されば我校其上を知悉(ちしつ:知りつくすこと)し、現世を勤(いそ)しみ、永遠の発展を策せとや。爰(ここ)に20周年記念式を挙行せらる。顧れば推移確然(すいいかくぜん:うつりかわることがたしかである)認むるなく烏兎匆々(うとそうそう:月日があわただしく過ぎて行くこと)たり。厥(そ)の郡立の当初、其局(そのきょく:その事態)に対せし辛労(しんろう:苦労)、其教鞭を執りし苦難や如何ばかり。聞く、創業は刻苦多く継承は心痛尠(すくな)からず。田校長の創設の傷心、江畑校長の整理に、新築企図安藤校長の新築落成を俟(ま)つて移転、且其内容充実に、七宮校長の豪放承継より本校長に到り此挙あり、育英焦心とや云はん。其意を稟(う)けて在校諸子此処に祝意を表し、卒業生諸君各地に其誠意を披瀝し、投稿各処より到る。慶賀の至、爾来(じらい:そののち)の発展や見るべし。余等微衷(びちゅう:わずかなまごころ)を露(あらわ)さんと欲するも、身(み)、翻江撹海(ほんこうかくかい:の勢いが広く大きい琴の形容で、評判がとても大きいこと)の筆と驚天動地(きょうてんどうち:世人をあっといわせること)の才と両(ふた)つながら之を欠いて、今更ながら及びなきを嘆ずる外あらざれども、其誌の発行に参与す。亦栄なしとせんや。
疣(いぼ)に非ざれば即ち贅(ぜい:こぶ)たる(注52)も其歓喜言はざる能はざるは情なり。茲(ここ)に跋す(ばっす:あとがきをしるす)。
 大正10年10月   編集員に代て   甲  氏(注53)
 
木曽林學校位置圖
(注 これについての図は原本ビューワ48コマ参照)