様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
5 若い世代に何を残していくか
事業継承・世代交代の難しさ
今、礒﨑さんの頭を悩ませているのが、活動存続のための「事業継承」問題だ。これまでの活動をどう伝えていくか?自分も含め、スタッフが高齢化していく中で、世代交代の難しさに直面しているという。
実は、NPO法人へ移行する際も、麦の家をやめるかどうか迷ったという。それでも、「行き場のない人たちにとってここは貴重だから残せ」という声に押され、存続を決めた。その一方で、「親の会」の方も、新しい人が入ってこない状況が続いている。
「8050問題(※14)」が社会問題となりつつある中、礒﨑さんが苦慮するのは、親が子どもを抱え込み、支援とつながらないケースが多くなっていることだ。
「本当に困らない限り相談に来ない。親が動けなくなって初めて相談に来る。行き場がなくなって最後の最後に来るから、結局行き着くところは遠くになってしまう。その前に言ってくれればもっと近場にあったり、別の道があったりするのに」と、もどかしさを滲ませる。
「子どもの自立に向けては、国中の組織でいろいろと取り組んでいるけど、親の自立ができていない。私がいないとこの子は生きていけないって思うんですよね」と、そうした親自身の意識を変える必要があるという。そうでないと、やがて障害を持っている子が親の面倒をみるというように逆走し、その状況から抜けられなくなってしまうという。
礒﨑さん自身、娘さんを施設(障害者支援施設いけぶくろ茜の里(※15))に入所させる際、まわりからは「まだ早い」と言われることもあったという。それでも、「私が何十年も運動をして、訴えてきたところができたので、どうしても入れたくて。自分と本人の将来を考えたら、早く手放したいと…つらかったですけど、どこかでふんぎりをつけないといけない。見本じゃないけど、このぐらいしなきゃダメよっていうのを見せたいというのもありました」と振り返る。
そうした経験を経て、礒﨑さんは今、これからの福祉サービスのあり方を展望する。
「グループホーム(※16)はもちろんいっぱい欲しいけど、豊島区でそんなにはすぐにできないので、家庭で受けられるサービスをどんどん増やしてもらいたい。そうしたサービスを、本当に欲しい人が制限なしに使えるようになったらいいのに」と…例えば知的障害者のための「居宅介護」サービスも、年を取ってからいきなり家に入ってこられるのでは戸惑うので、年齢が若いうちから使えるようになればいい、そうしたひとり暮らし支援があってもいいのでは、と言う。「移動支援でも、それを使っていろんなところに出られるようになったら、たまには1人で行ってみて報告するとか。そういうのもサービスの一環だと思うし、そういうふうに、システムがぐるぐる回るといいなと思っています」
そういうシステムはどうすれば実現できるかと問うと、「ずっと言い続けていくことだと思います。何々が欲しいって言ったらそれだけで終わってしまう。今、CSW(コミュニティ・ソーシャルワーカー(※17))さんが始めているように、いろいろつなげていってくれればと思います」…障害を持っている子どもと家族の不安それぞれに寄り添い、複眼的な視点で様々なサービスへとつないでいく…そんな福祉のあり方を思い描き、次の世代に伝えていくことを礒﨑さんは願っている。