としまひすとりぃ
ひと×街 ひすとりぃ

様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。


6 雑司が谷への思い

副都心線「雑司が谷駅」の開業により脚光を浴びる雑司が谷の街の魅力を活かしたまちづくりを進めていこうと、平成21(2009)年6月、「雑司が谷・歴史と文化のまちづくり懇談会(※20)」が発足した。様々なアイデアが検討された中の具体策のひとつとして、翌22(2010)年7月、鬼子母神参道ケヤキ並木に、雑司が谷を訪れる人々の拠点となる「雑司が谷案内処(※21)」が開設された。

「開設して10年になります。始まる前に1年間、ここを作るための勉強会をやって…参道がさびれてきてたんですね。以前はお団子屋さんとかもあったらしいんですけど、次の世代の方が継がないから。小さな市場もあったんですけどね。今また、いろんなお店が少しずつできつつあるところですけど…」と、当時の状況を振り返る。「その時に、誰かと2人でやってほしいって話が来たんです。でも、毎日はとても無理なので、友の会でやることになって。友の会はそれまでも案内をしたり、受付の仕事もしたりしていたので友の会のみんなでなら引き受けられますってお返事して、『雑司が谷案内処応援倶楽部』という名前にしてやっているんです」と、現在は友の会のメンバー以外も含め、8人で案内処の運営にあたっているという。

案内処をよく訪れるのは、「やっぱり鬼子母神さんにお参りにいらっしゃる方…おばあちゃまがお参りにきて、『孫に恵まれました、ありがとうございました』っていう人とか。その方はしょっちゅうお参りにいらして、そのたびに『ありがたかったんですよ』っておっしゃるんです」と、子だくさんの象徴であるザクロの花が飾られた鬼子母神のご利益は今も霊験あらたかのようだ。「よく実るまでは硬い皮の中にがっちりと。それで実ったら出てくるっていう感じが、子だくさんみたいで」というザクロの謂れを知る人も今は少なくなっている。

そんな逸話も含め、街の案内役を務めるためには、街の歴史を知る必要がある。そうしたことを学び、活動につなげていく場づくりにも取り組んでいる。現在、小池さんが代表を務めるボランティアガイド団体「としま案内人雑司ヶ谷(※22)」は、平成22(2010)年に区が開催した「雑司が谷ボランティアガイド養成講座」の修了生を中心に23(2011)年9月から活動を開始した。「郷土資料館の秋山先生と横山先生が郷土史とガイドの勉強会をしてくださって。3期生までいるんですけど、結局みなさん、雑司が谷の歴史の勉強はしたいけどガイドは…ってなるんです。本来はガイドになるための勉強会ですからって話はするんですけど、やっぱりガイドってなかなか難しくて、残る人が少ないんですよね…」と、「人づくり」の難しさが課題だという。現在の会員は26人、「ただ、実際にガイドをしている人たちは17.18人」とのことで、1期生の中にはすでに亡くなっている方もいるという。「今年で10年目になるので。そうすると、みんな10歳年をとってる。だから今は一本釣りしようって言ってるんですよ。今度、若い方が1人、入られるんですけど、お子さんが中学生だそうなので、それならいいじゃないか」と、若い人の活動への参加を期待している。

郷土資料館の歴史・生活資料調査を振り出しに始まった小池さんの活動も早35年を迎えた。その活動は、地域の文化を大切にしたいという思いに支えられ、そして小池さん自身が支え手となって地域の文化を育んできた道のりである。

そんな小池さんからの、これからの雑司が谷、若い人たちへのメッセージは、「豊かな風土は残してほしいかな。雑司が谷の、のんびりした、ご近所づきあいも適当な感じ。この頃、猫ちゃんが嫌われるというか、いろんなことになっちゃうんですけど、それこそ猫がいるまちってとても豊かなまちだって聞きますので」…誰をも包み込むような笑顔とゆったりとしたその語り口は、のんびり猫がまどろむ雑司が谷の街によく似合う。

※20 雑司が谷・歴史と文化のまちづくり懇談会 2009(平成21)年6月18日第1回懇談会開催。
関連資料:H210618プレスリリース

※21 雑司が谷案内処(雑司が谷3-19-5)
詳細:雑司が谷案内処ホームページ

※22 としま案内人雑司ヶ谷 雑司が谷地区を案内するボランティアガイド団体。2011(平成23)年活動開始。
関連資料:としま案内人雑司ヶ谷PRパンフ
詳細:としま案内人雑司ヶ谷ホームページ

(取材日:令和2(2020)年3月4日)



◆区民インタビュアー取材後記◆

根岸豊さん

小池さんとは、これまでもたびたび会う機会があり、あらためて何をお聴きすればいいのか?と思いながらインタビュ-に臨みました。しかし小池さんの活動は、あたりまえですが私が知らなかった多方面で活動されていました。
郷土資料の所在調査にボランティアで参加したことから、豊島区女性史「風の交差点」、ドキュメンタリー映画「鏡のない家に光あふれ」、「池袋モンパルナス」、「雑司ヶ谷案内処」など様々な活動につながったとのこと。そうした多方面にわたる活動ができたのは、人柄の良さと 好奇心旺盛な人だからなのだろう。

吉田いち子さん

雑司が谷と言えば小池陸子さん!と言われるほどに有名な方にお目にかかりお話を伺うことが出来た。にこやかな笑顔でケヤキの参道を歩いてこられた姿は今も忘れられない。名刺を差し出され「陸子」を「みちこ」と読むことが分かり嬉しかった。
”世の中の、外のことを見てみよう!”という溢れんばかりの好奇心から歴史・生活資料調査員の募集記事に応募するという行動力。それが小池さんの社会参加の第一歩となったことはまるで冒険小説の一ページを開くようだった。
雑司が谷という土地にしっかりと根付く、まるでケヤキのような力強さとともに衰えぬ好奇心は歯車となって動き続ける。そして、愛情深く人々と周囲を凝視しつつ〝機〟を掴むと、勢いよく梟の如く飛び立つ。その逞しさこそがますます小池さんを輝かせているのである。









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