様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
3 運営の柱は節約術と地域からの信頼
杉本さんたちの運動が結実し、平成17(2005)年10月に「みらい館大明」がオープン(※3)した。
地域の人々が管理・運営して廃校を再生させ、しかも成功する事例は、全国的にも珍しい。その秘訣は、館長を務めてきた杉本さんの徹底した節約術と、ボランティアに支えられていることが大きい。
「立ち上げ時の説明会で、ボランティアで1万円を持ってきてくれる方を募集したら、50人が集まったんです。だから、出資金は50万。その中に同窓生が20人いました。それと、区役所から光熱費がいくらかかるかとか全部、教えてくれたんですね。最初は財政が厳しくなりそうだから、借りる部屋の面積分だけの水道光熱費を払い、その他、廊下やトイレの部分はすべて区が負担してくれました。給料を払う従業員は1人で、ボランティアが3人。あるボランティアの男性がずっと、掃除からゴミ捨てから草むしりから何から、やってくれてるんです。当初は、その方と毎晩、不用品を3階から下まで降ろす作業が一番、大変だったのかな」
もうひとつ、開館時に悩みの種となったのが、避けられない大きな出費である。特に、当時の学校にあまり設置されていなかったクーラーは、費用の捻出を考えた末、やはり地域頼みの策に出た。地元の電気屋に「一番安くていいものをお願いします!」と頭を下げて、予算内で導入できたのだという。これなら急ぎの修理にも対応でき、地元商店との関係も維持できる。杉本さんの屈託のない人柄と、地元での信頼がうかがえる話である。
「もう、値引けるだけ値引きました。床を修理した時も、一番安く見積もりを出してくれたところに頼んで『私も手伝うから!』って言って、値引いてもらって。一部屋あたり100万円が45万円くらいになりました」
備品類も、青年館(※4)や閉校する学校など区内の施設からのもらいものでまかなっている。ロッカーやカーテンのような大物から、ボールペン、洗剤など、もらえるものは何でももらった。「こんなものまで!?」と相手に驚かれることもあったほどだ。
関連資料:H171004プレスリリース
詳細:「みらい館大明」ホームページ [団体概要]
一方、杉本さんの知恵と行動力だけでは乗り切れないこともあった。それは、NPO法人(※5)としてとして都から認証を受ける折のこと。その苦労をしみじみ振り返る。
「NPOにしたのも、区役所の一部から『訳のわからない人に貸すのはどうなの?』って話が出たからで……。でもその時、一緒に東京都まで書類を出しに行ってくれた豊島区の担当職員さんが、本当に大変な思いをして助けてくれました。いまだに感謝してもしきれないくらい」
当時、東京都の担当窓口に手続きのため何度も通ったが、それを「区の人っていう顔をせずに」粘り強く助けてくれたのが、豊島区の担当職員だったのだ。さらに、節税など、運営の助言をしてくれる人も出てきた。
「最初の2年間は税金対策のため2回、区に寄付したんですよ。でもある区の職員から、『これから寄付はしないで、税金払ってでも貯金しなさい』って言われたんです。それで貯金し始めたんですけど、おかげで電気代が節約できたし、このコロナでもなんとか運営できてるんです」
少女時代に役所と渡り合った話も思い起こさせる、杉本さんらしい裏話だ。いつでもまっすぐに、明快に人と向き合ってきたからこそ、相手も心を砕くのだろう。
詳細:東京都生活文化局ホームページ