様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
第3回 杉本カネ子さん (NPO法人「いけぶくろ大明」理事長)
子どもが好き、人が好き。誰でもウェルカムな場を目指して
平成17(2005)年に閉校した旧大明小学校の校舎を活用した生涯学習施設「みらい館大明(※1)」。地域住民の自主管理・運営による学校の再生施設としては、先駆的な例だといわれています。その成功の鍵を握る館長の杉本カネ子さんは、美容師として働き、子育てをしながら地域活動に関わってきました。その原動力は?心地よい場づくりのポイントは?「大明愛」をじっくりと語り、未来を見据えた「ある決意」も明かしてくれました。
1 PTA活動の原点は「税金の無駄遣いが許せない!」
宮城県松島生まれの杉本カネ子さんが20代でこの地にやって来たのは、偶然のことだった。高校卒業後に仙台の美容室に勤め、将来は松島に戻り開業するつもりでいたが、上京していた姉たちのもとへ遊びに行った時に池袋で働くよう勧められたそうだ。
「姉の勧めで、新聞の求人欄で探した池袋の美容室に就職が決まりました。それが昭和49(1974)年。地縁はまったくなかったんですけど、怖いとかはなかったですね。4歳ぐらいからひとりで電車に乗って母の実家に行ったりしてたから。ちょっと変わった子だね、ってよく言われてたみたいです。もともと夢は保母だったけど、父が病気になった関係で短大に行けなかったから、次に好きな美容がいいかなっていう理由でした。だから、基本は子どもが好き。よその子の面倒を見るのも大好きです」
杉本さんは6人きょうだいの末っ子。兄や姉が母親に育てらたれたのに対して、杉本さんが幼いころに母親が勤めに出たため、何でもひとりでしてきたという。そうした独立心の強さは、社会を見つめる目を養い、のちの人生に影響していく。
23歳で池袋の美容院に勤めはじめてから24年。平成10(1998)年に美容院を受け継ぎ、経営者になった。その間に結婚し、2人の息子を育て、息子たちが通った大明小学校と深く関わるようになる。校外活動を通じてPTA副会長などの要職に就くまでになったのだ。子育てをしながらのPTA活動は嫌がる人も多いが、杉本さんを動かしたものは何だったのだろう。
「副会長は1年しかしていないんですけど、もとは校外委員をした時に『なんで区からお金が出てるのに、子ども会のお金を集めるのかな』って、納得がいかなかったから。規約を変えないとだめなのかなっていうところから、副会長になりました。ただ、前から――中学1年くらいから、税金の無駄遣いとか、役所の矛盾に対して疑問があったんですよ。母が外で働いていたので、暇でよく役場に遊びに行ってて、昼休みだから動かないこととかについて、役場とケンカしたこともあります。税金の無駄遣いもとにかく許せなくて、私の根本にあるんだと思います。つい『あのお金、何に使われてるんだろう』とか、ちまちましたことが気になる(笑)」
施設利用委員長に就いた時にも、校庭開放を実施する際にも、資金は子どものために使うべきで、委員ら大人はボランティアであるよう訴えてきた。当初は「余計なことを」と非難も受けたが、風向きは変わっていく。それは、杉本さんの疑問が本質をついていたからだろう。ほかの保護者たちからも、年会費に対する不満や子どもの数による不平等に対して声が上がっていたし、杉本さんはそれを敏感に察知してすくい上げていったのだ。ただそれは、じつに骨の折れる、面倒な作業である。
「息子にもよく『重箱の隅を突っつく人だ』って言われますけど、気になっちゃうんでしょうね。でも、もともと子どもが好きだから、自分が働くことは全然、苦労だとか思わないんです」
そう言ってあっけらかんと笑う杉本さん。大明小での活動を始めて5、6年は、周囲の説得を振り切って無償で働いていたという。多くの人が嫌う掃除も現在まで続けている。
まさに大明を思えばこそなのだが、最初にその思いが深まり、杉本さんを強く揺さぶったのが、「大明小がなくなる」と知らされた時だった。
関連映像:「わが街ひすとりぃ」第3回池袋 現地ロケ編
詳細:「みらい館大明」ホームページ