としまひすとりぃ
ひと×街 ひすとりぃ

様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。


2 胸を満たす子どもたちとの思い出

白熊さんの人柄や働きぶりはPTAで知れ渡り、今度は第7地区青少年育成委員会の会長に推された。青少年育成委員会とは、豊島区の12の地区ごとに設けられた住民の自主的組織である。このとき、12ある地区の中で初の女性会長になった白熊さんは、またも注目を集めた。
「会長になったとたんに、年上の町会長さんや地域のいろんなところから叩かれました。入学式のときも、元会長の席に私が座ったらもう、みなさんの視線がバシバシ来てるのがわかるんです。男女関係は鈍いんですけど(笑)、そういうのは敏感ですから」

白熊さんが青少年育成委員会に入った頃は子どもの数が多く、800人ほどもいた。委員の数も多かったため、祭や川遊びなど多彩なイベントを手がけた。
「本当にいろいろやりました。近所の材木屋さんが手伝ってくださって、やぐらを造って盆踊りをしたり、川越まで芋堀りに行ったり。3年生のある子が、両手に抱えきれないくらいのさつま芋をリュックに詰めて、重みで体が後ろに倒れるようになりながら歩いてて。のちに再会したときに『覚えてる?』って聞いたら、『覚えてますよ。あのときは……(笑)』とか言ってね。もう、そういうのを見ると、すっごいうれしい」

立川の昭和記念公園に連れて行ったときは、迷子の2人を探しまわってヘトヘトになったし、高麗清流園(※2)での川遊びは見守るのに目が疲れた。だが、今ではどれもキラキラした思い出だ。

ほろ苦い記憶もある。長崎中学校が、別の中学校と統合する際の〈最後の運動会〉(※3)だ。
「残った3年生が10人しかいなかったんだけど、運動会をしたいということだったので、育成委員会で『デカパン』の競技とパン食い競争を企画しました。『ここは私らの出番よ!』って言ってね。大きなパンツの中に2人で入って走る競争で、身体障害者センターの運動会を真似したの。子どもたちと一緒になって、運動会を助けたんです」

いっぽう、日常的には、第7地区独自の取り組みも残してきた。たとえば、鼓笛隊で地域を回る活動は、子どもの犯罪防止のための『社会を明るくする運動』(※4)に際して立ち上げた。
「こういうのを続けるのは、校長先生や先生の意見によるので大変でしたが、ようやく何年間か続いてます。私たちの運営委員会の様子とか行動を、見てくださってたんでしょう。校長先生と音楽の先生が、少しの雨なら『いいよ、俺が責任取るから』って言ってくれるようになったんです」

月1回、夜の見回りをする『愛のパトロール』も、第7地区独自のものだ。子どもをつねに見守ってきた白熊さんが胸を張るこの活動は、30年も続いている。
「夜7時頃、塾や学童帰りに遅くまで遊んでる子がいないか見回りをするんです。緑色の揃いのジャンパーを着て、数人でね。協力してもらうために町会に入り、町会と共にパトロールをしました。PTA副会長の時に役員のみの活動だけでしたが保護者全員が1回だけでも協力活動できるようにとパトロールをはじめました。パトロールは続いてるみたい。これは私、誇れるかなと思って。続いてるのを見たら、よかったなと思います」

※2 高麗清流園 かつて埼玉県日高市に建てられた区立の施設。区民の厚生施設および区立学校の児童、生徒の夏季施設その他校外教育施設として、健康の保持増進その他自然の観察学習に寄与することを目的として昭和38(1963)年に建設されたが、平成9(1997)年3月31日付で廃止となった。

※3 関連資料:H171005プレスリリース

※4 社会を明るくする運動 すべての国民が、犯罪や非行の防止と犯罪や非行をした人たちの更生について理解を深め、犯罪や非行のない明るい地域社会を築こうとする法務省主唱の運動。昭和24(1949)年7月1日に施行された「犯罪者予防更生法」の思想に共鳴した銀座の商店街の有志が、同年7月13日から1週間にわたり「犯罪者予防更生法実施記念フェアー(銀座フェアー)」を自発的に開催したことが運動の始まりといわれている。

豊島区

Copyright © Toshima City. All rights reserved.

お問合せ先:豊島区広報課