としまひすとりぃ
ひと×街 ひすとりぃ

様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。


2 巣鴨親子読書会から連絡会へ、広がる「みんな」の輪

巣鴨親子読書会との出会いは、次女が生まれた昭和47(1972)年。当時、全国的に親子読書運動がさかんになっており、図書館から地域住民に対して親子読書会をつくるよう働きかけがあった。小林さんも、長女の友だち親子を通じて巣鴨図書館に行くようになり、館長からの呼びかけに応じて共に親子読書会を立ち上げたのだ。巣鴨親子読書会では、幼児を対象にした読み聞かせから始めた。
「絵本にホットケーキが出てきたら、一緒にホットケーキを作ってみるという感じで、本に関連したことをやってみて、その本を借りて帰って、体験が定着するんです。
科学絵本を読んで実験をやったこともあります。生クリームを容器に入れて手が痛くなるほど振ってると、バターができるんですよ。ちょっとお塩を加えると、本当においしいバターになるので、パンにつけて食べたりとかね。それと、大きなシャボン玉とか。そういう、おうちではなかなかできないようなこと、みんなでやればできることをやるんです。みんなでやるっていうことは連絡会にも言えることですから」

ある日の巣鴨親子読書会 家政大・森田浩章先生と

連絡会とは、昭和54(1979)年、豊島(のちの池袋)・千早・巣鴨各親子読書会(※4)の相互交流を図るために結成された「豊島区親子読書連絡会(以下、連絡会)」である。翌年に創刊した会報には、〈励まし合い、よさを認め合う〉〈問題点は協力し合って解決する〉といった理念が書かれているが、実際にいい影響を受け合いながら交流が進んだ。
「単独の読書会ではできないこともたくさんできましたね。『かるた』づくりのような全区的なものは特にそうです。各地域がまた刺激を受けて、例えば池袋でも『かるた』をつくるとか。いろんなふうに発展していきました」

※4 豊島親子読書会 昭和45(1970)年設立。昭和61(1986)年池袋図書館開館に伴い「池袋親子読書会」と改称。令和3(2021)年閉会。
千早親子読書会 昭和53(1978)年設立、平成5(1993)年閉会。
巣鴨親子読書会 昭和47(1972)年設立、令和3(2021)年閉会。

染井霊園西側門に掲げられた『豊島区郷土かるた』の句碑

もうひとつ、連絡会で重視されたのが図書館との連携だ。21回行なった共催の講演会には、やなせたかし、松谷みよ子、谷川俊太郎といった多くの人気作家も招いた。
「今、考えると、いつもすごい人たちを呼んでたんだなと思うんです。いざ終わってみると、身近にそういう人たちが来るチャンスってなかなかない。身近でできたのはかけがえのないものだったんだなって、今になって思います」

連絡会の発足から2年後、小林さんは朗読文化研究所(※5)で本格的に朗読を学び始めた。耳に心地いい小林さんの朗読は、ここでの修練のたまものなのだ。朗読を通して言葉遊びにも興味を惹かれ、深く広く、言葉の表現に親しむようになる。

1979年~1999年 児童文学者による講演会
写真は1998年 角野栄子先生
※5 朗読文化研究所 昭和56(1981)年新宿区下落合で設立され、平成5(1993)年豊島区池袋に移転。「朗読のある心豊かな暮らし」を提唱し、音声言語・朗読文化の普及に寄与した。平成20(2008)年に設立されたNPO法人朗読文化研究所の前身。

連絡会の初代会長であり、朗読文化研究所を設立した大松幾子さん(※6)との出会いも忘れがたい。
「大松さんは総合的にプロデュースする力があって、すごいものを持ってるかたでした。『かるた作りをしましょう』って言いだしたのも大松さんで、みんな本当に楽しくてね。郷土史の掘り起こしも大松さんからなんです。みんな大松さんと気が合ったんでしょうね。大松さんが『やる?』って言ったら、『やるやる!』っていう感じで」

※6 大松幾子(おおまつ・いくこ、1935-2006) 豊島親子読書会、豊島区親子読書連絡会初代会長。朗読文化研究所所長。編著に『対談 朗読文化』(1996年 かど創房)、著書に『読書会は花あかり』(2006年 かど創房)などがある。

豊島区

Copyright © Toshima City. All rights reserved.

お問合せ先:豊島区広報課