様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
5 手製本で身近な世界にいろどりを
連絡会に講師を招いて手製本を習ったことがきっかけとなり、小林さんは私生活でもたくさんの手製本をつくってきた。最初の作品は、子どもとよく遊びに行った巣鴨公園を舞台に昭和56(1981)年に制作した絵本『ぼくとおばちゃん』。
「公園の管理人のおじちゃんとおばちゃんの話です。当時はカラーコピーがあまりなかったので、文房具屋さんまで行って絵本をコピーして、おばちゃんにプレゼントしました」
家の近くにあったアオギリの木に着想を得た平成5(1993)年制作の『アオギリの詩(うた)』も、巣鴨公園ゆかりのオリジナル絵本だ。公園に記念碑が立つ廃兵院の話が盛り込まれている。
「童話っていったらいいでしょうかね。すごく印象的なアオギリの木をモチーフにして。(絵本を開きながら)こんな土手が本当にあったんですよ。
平成13(2001)年には仲間たちと『世界に1冊の絵本 見てください』っていう展覧会もやりましたね」
かつて身近にあった風景や人々の営みを描き残していたこの時期、小林さんのもとから子どもたちが巣立っていった。平成7(1995)年、小林さんは結婚する長女と一緒にウエディングドレスを縫い、門出を祝った。やがて孫が生まれ、今度は孫たちの誕生日に手作り絵本を贈るようになる。
「孫は5人いるんですけど、3歳のお誕生日まで手作り絵本をプレゼントしてました。あげてたうちの1冊は布絵本にしてるんですね。チャックをつけてて、ジャーって開くと海の様子になったりね。孫へのプレゼントはもう終わりましたけど、なんと去年、ひ孫が生まれちゃったんです。また作るかな? どうしよう(笑)」
一方、自分のための手製本も、市販のノートやサインペンなど手近なものを使って気負わずに続けてきた。ワープロを使った文面、手書きの地図など、小林さんの得意技と細やかな仕事が光る。
「これは私がひとりで旅行に行ったときの記録なんです。パンフレットとかお箸の袋とか、持って帰るでしょ。こういうのはあとで見返して自分で楽しめるから。動けなくなったとき用にいいかなとか思って。楽しんでやってたんですよね」
平成21(2009)年、27年務めた会社を定年退職してからも、得意な本まわりのことを活かした歩みはまだまだ続く。司書の資格を取るために、聖徳短期大学通信制に入学したのだ。長く読書活動に関わってきて、司書に興味がわいていた。
「やっぱり、図書館で本に囲まれてるとすごく落ち着きますよね。退職時に『司書の資格も取りたかったのよね』って、会社のずっと年下の同僚に言ったら『今からでもやればいいじゃないですか』って言われたんです。それで退職後65歳のとき、通信教育で勉強を始めたの。スクーリングでは『ああ、大学ってこんな感じだったのかな』って味わったりしてね。勤めてるときだったら休みもなかなか取れなかっただろうから、タイミングはよかったのかな。いろんなレポートを出していって、最後に1泊する合宿があったの。その学校の寮だったのかな、二段ベッドに寝て。最年長だったけど、楽しかったですね」
子どものために始めた親子読書会の活動は、小林さんの中にあった〈好き〉を刺激し、尽きない好奇心をさらに深めたのだろう。