様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
第7回 林英子さん (「南大塚都電沿線協議会」管理指導員)
仲間たちと叶えた〈バラのまち〉実現への夢
大塚といえば、レトロな路面電車と色とりどりのバラがある風景がトレードマークですが、ひと昔前までは駅周辺に放置自転車やゴミがあふれていました。そんなまちを変えようと、家族や仲間と手を取り合い、駅前の美化活動に取り組んできたのが林英子さんです。100本のバラからスタートして、東京に残る唯一の都電荒川線(愛称:東京さくらトラム、三ノ輪橋~早稲田間延長12.2km)大塚駅から向原駅までの沿線1.4kmには700種・1190株ものバラロードが完成。「大塚のバラ」を育てあげるまでの長い道のりを振り返ってもらいました。
1 商店街有志とともに活動をスタート
大塚駅南口を出てすぐのサンモール大塚商店街へ進むと、細い路地に個人商店や飲食店が立ち並ぶ。三代続く林精肉店は、林英子さんが家族とともに営む〈まちのお肉屋さん〉だ。手製のコロッケなどは根強い人気があり、店先を埋め尽くすように咲く鉢植えの花とともに、地域の人々に親しまれている。
「栃木の実家は専業農家で、今でも弟がトマトとかお米を作ってます。お花は母も大好きだったので、庭じゅうに花がいっぱい咲いてました。バラも育ててましたね。
こちらにお嫁に来てからは、そのうちに夫のほうがお花を育てるのが上手になって、いまは菊づくりがすごく上手。秋になったらたくさん咲くので、天祖神社(※1)に持って行ったり、商店街にも持って行ったり。いま、お店の前にはユリが並んでますよ」
林さんが結婚を機に大塚に来てから43年。林精肉店のある路地では、おかずのおすそわけをするなど店舗同士の人情あふれる交流が続いている。いっぽう、駅前を中心としたまちの姿は様変わりした。
「来た頃はずいぶんと田舎でしたよ。駅も田舎の駅みたいでね。都電の線路沿いには雑木がいっぱい植わってて、駅前にゴミがいっぱいあって。いまは家の近くでゴミを捨てますけど、当時は都電の近くにゴミを出す場所があったんですよね。通勤途中に捨てていく人もいたし、いつもすごく汚かった。だから、こんなきれいになるとは思わなかったです」
大塚駅の周辺は、平成21(2009)年に南北自由通路(※2)が開通したこともあって、まちがさらに活気づいて風通しがよくなった印象がある。平成29(2017)年に完成した南口駅前広場「トランパル大塚」(※3)は、日中くつろぐ人がいるほど気持ちのいい場所になった。
だがかつては、林さんたち商店街の人が日常的に掃除を頼まれるほどゴミだらけで、雑然としていたのだ。とりわけ深刻な問題だったのが放置自転車で、大塚駅は平成十年代を通して都内ワーストランキング1・2位を争うほどの有様だった(※4)。
「最初に誰かが自転車を置いたら、みんながだーっと置きだしちゃったんです。通勤、通学の人も、買い物の人も。ゴミもそうですよね。誰かが捨てるとゴミが集まっちゃう。そういう人間の心理ってありますよね」
南北自由通路の整備と並行し、平成18(2006)年から駅前広場の地下駐輪場計画の検討も始まり、北口地域の町会や商店会も加わった街ぐるみの放置自転車クリーンキャンペーン(※5)が展開されるようになった。
同じ頃、商店街や地元住民による美化活動も始まる。
「駅前に花壇を入れようっていう話になったんです。駅前には大きな柿の木があって、頭がぶつかったり、実がなると下に落ちちゃったりして大変だったんですね。ある風が強い日に柿の木が倒れたんで、JRがそれを片づけてくれて。それからみんなで土を掘り起こして、そこに花壇を作ったんです」
『グリーンアートフェスタ inすがも・おおつか』(※6)というこの美化活動で設置したベンチ花壇の世話を買って出たのが、林さんたち商店街の婦人部だった。バラのまち・大塚を育てるあゆみは、こうして始まった。