としまひすとりぃ
ひと×街 ひすとりぃ

様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。


5 活動の基礎を築いてくれた家族

林さんがバラを育てる活動は17年目に入った。いまでこそ「大塚のバラ」が知れ渡り、区からは補助金もおりるようになったが、活動を始めた頃は資金や必要な品も乏しかった。そんな頃に物心両面で支えてくれたのが、林さんの家族である。

とくに、店の運営・バラの活動ともに強力な助っ人となってきたのが、長女の知子さんだ。最近では、大塚バラまつりで開催した「南大塚野点(のだて)茶会」で、茶道の免状を持つ知子さんの働きやアイデアに助けられた。
「娘は宅建(宅地建物取引士)を取って、店やうちのいろんなことやってくれてます。彼女はいま全部、把握してるんじゃないのかな。頼もしいので全部任せてますね。
バラの銅板のエリア表示は娘が切り絵でつくったものです。当時はお金がなくて発注できなかったの。彼女は美大では評論が専攻だったから、専門じゃないんですけど、今でも絵は好きですね。バラまつり(※15)のときのお茶会は、招待した人にお茶を入れてあげたら、すごく喜ばれました。それから、娘の勧めで「武蔵野バラ会」っていうお勉強会にも入りましたよ」


※15 関連資料:H240511プレスリリース
IKE-CIRCLEの紹介ページ(※外部サイトへ移動します)
「南大塚野点(のだて)茶会」の様子

ベンチ花壇をつくり始めた頃から伴走してきた夫の洋さん(※16)は、商店会長に大塚阿波おどりの実行委員長に町会の副会長にといまでも忙しく、林さんは体のことがちょっと心配だ。
「もう年なんだから、本当は実行委員長とかも辞めてもらったほうがいいんですけど、次がなかなかいないんですよね……。ずっと元気でいないとだから、体に気をつけるために月曜日も休みにしてます。『とりあえず生き残ろうね。街が変わるのを見届けようね』って言ってます。無理はさせないように」

家族で趣味や活動が循環しているのも林さん一家ならでは。洋さんは、林さんに影響されて菊を育てるようになり、知子さんの切り絵に魅せられて自身も創作活動を始めた。林精肉店の店内を飾る洋さんの切り絵作品は、お客さんの目を楽しませている。
「娘の切り絵を見てた夫が『できる!』って言って、切り絵をやりだしたんです。そしたら、夫のほうがすごいのを作るようになって。切り絵作家みたいになってます。
気分転換にもなるみたいですよ。私もまねしてやったんですけど、全然できない。集中すると目がけいれんしちゃって(笑)」

24歳のときに家同士の関係からお見合い結婚をすることになり、大塚に来てから43年。商店街での暮らしも、まちをよくする活動も、過ぎてみるとあっという間だった。いま、林さんがしみじみと振り返る家族との日々は、単なるノスタルジーではなく、今後の動力源でもある。
「最初はわけがわかんなくてね……。でも、夫がいい人だったので、巡り合わせって不思議だなと思って。大変なこともあったけど、私は義母のことも大好きだったし、いい人だったのでよかったですね。
お嫁に来たときは若かったですからね。無我夢中でやってきて、お葬式を何回もやって、その間に子どもができて。思い返すと本当に早かった。いま、夫とも話してますね。まちがいいように変わって、バラが残れば一番だね、って。大塚駅はこれからも、もっときれいになりますよ」

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