様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
3 「バラのまち」実現に向けた具体案を練る日々
ほとんどゼロから始まったバラの計画が勢いづくなか、さらに発展させるために、林さんは立ちどまるようにして活動を俯瞰し、知恵を絞った。
「入院してたとき、ただ植えてるだけだと豊島区も認めてくれないだろうし、どうやったらここが認められて伸びてくんだろうな、って考えてたんです。それで、全国の花の会の賞を取ったらどうだろう?って思った。最初に『豊島・美しい街並み賞』(『第1回豊島・美しい街並みづくり大賞』)(※10)を取ってたので、次に「日本花の会」の賞(『全国花のまちづくりコンクール』(※11))に応募したんです。何か賞を頂いたかどうかっていうのが、応募条件だったのね。ちょうど入院中に読んでた雑誌にその賞のことが書いてあって、退院してから応募したんです。それで、それも賞を頂いた。……いろんなことを考えながらやってきましたね。ただ育ててるだけじゃなくて」
実際、「ただ育ててる」だけでは、バラを長く咲かせていくことは難しい。日々の世話も、細かな工夫や関係者とのコミュニケーションなどの積み重ねが欠かせなかった。たとえば、沿線1.4kmもの水やりは、地域の人々、区と対話を重ねたりバラをアピールしたりして、なしとげてきた。
「最初は近所でお水をもらってましたね。『すみません、お水をください』って言ってペットボトルに水を入れてあげてたんですけど、こんなことしてちゃダメだなって思ったんです。だからこれも、賞が大きかったですね。国土交通大臣賞とかもらってるので、全国的にも評価されているということを区に言ったら『じゃあ水道を引いてあげましょう』ということになりました」
肥料の購入資金も、林さんの発案で応募した『全国花のまちづくりコンクール』の賞金でまかなったことがある。それまでは林さんの家族にも協力してもらい、自費でみんなの飲み物などを買っていた。
やがて沿道にバラが増えると、維持管理するなかで残念なできごともあったが、住民の交流につなげつつ対応してきた。
「大きなバラを取って持っていっちゃう人が結構いたんですね。最初は、抜いて大きな袋に入れていっちゃう人もいた。なので、取られないように『バラ見守り隊』というのをつくったんです。おひとり暮らしの高齢者のかたたちが揃いのジャンパーを来て、歩いて見て回るんですね。『草むしりはできないけど、歩くのはできるから』って、やってくれて。結構、楽しそうでしたよ」
ひとり暮らしの高齢者の見守りは全国的に課題になっているが、バラを見守りながら人と触れ合い、健康維持にもつながるというのは魅力的だ。いまでは、西巣鴨中学校の生徒たちが見守り活動を続けている。