様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
3 住民手作りの「南長崎はらっぱ公園」が完成!(※11)
はらっぱ公園は、大きく3つのゾーンからなる。かまどベンチなどを備えて災害時にも対応した「多目的ゾーン」、遊具を備え幼児も安心して遊べる「子どものゾーン」、地域住民手づくりの花壇やビオトープ(※12)で自然に親しめる「地域交流ゾーン」だ。これらを設計・造成した「育てる会」が、維持・管理にあたっている。なかでも大がかりで、いまも手を抜けないのが「子どものゾーン」に植えた芝生だ。
「はらっぱ公園をつくるときに何が大変って、芝生が根づかなくて大変だった。雑草もないし土だけで、砂ぼこりもすごかった。だから早く植えようということになったんですけど、大変でねぇ。もう本当に『原っぱ』じゃないの、がれき。コンクリを壊していますから、土がものすごく悪いんです。ですからみんなで一生懸命、取れるものは取ってから芝生を植えたんですが、土が悪いから育たない。場所を決めてロープを張って『ここだけやり直す』っていうのを何十回もやって。それは今年もまだやっているわよね。ありがたいことに、いまは子どもさんがたくさん来てくれるので、それでまた根づかなくなっちゃうの(笑)」
植野さんがそう苦笑いすると、山本さんはビオトープも手を抜けないと明かしてくれた。ビオトープは生態系を保護するために住民が手作りした池だが、外来種のアメリカザリガニが捨てられ、繁殖してしまったのだ。
「最初は何百匹もいて……。ヤゴが食べられちゃうから、ザリガニをスルメで捕るんです。捕れるときは何十匹と捕れましたけど、最近は7匹ぐらい。入れる人もいなくなって絶えてきました。この前、トンボがものすごく飛んでいましたよ」
豊島プール、西椎名町公園の時代には、子どもが遊べる公園が各地に多かった。平成期には少子高齢化を受けて、かつての児童公園は全世代を対象にした公園に衣替えし、さらに自然災害の増加に対応して避難場所の役割も果たすようになった。はらっぱ公園は、こうした時代の変化に対応しつつ、最近は親子連れや保育園児たちの活気で満ちている。
「隣接する新宿区からもお母さまたちが自転車で来るんです。保育園の先生が5組も6組も子どもを連れてきて午前中遊ばせているから、やっぱり原っぱでよかったんではないのかなと思います。すごくにぎわっていますよ」
と植野さんが言うと、山本さんも「なかなかフラットな公園ってないですよね」とうなずく。
子どもたちを惹きつける大きな魅力がもうひとつある。山本さん、植野さんも交流してきた地域の社会福祉団体「ゆきわりそう」(※13)が月に2回、群馬の牧場からポニーを連れて来るのだ。
「ゆきわりそうのホースセラピーのために連れて来るポニーなの。それに便乗して、街の保育園の子どもたちも午前中に触れて、午後は1~2時間乗せてくれるの。子どもを乗せて公園をぐるっと1周してくれるんです」