様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。
6 涙が出るくらい、私が一番うれしいこと
2020年から始まったコロナ禍では、藤香想も大きな影響を受けた。本橋さんはスタッフたちと相談を重ね、ここに来てくれる人たちのためにも細心の注意を払いながら店を開けることを選んだ。中断したイベントもあり、なかなか会えなくなった人もいるなかで、ぼちぼちと再開したこともある。
「農家さんとのお米作りを始めて2年くらい経ってコロナになったので、今は中断してます。田植えの時期には再開できるかなと。
新しく試みているのは、民俗学の講座。私たちの過去から継承されてきたものが、いかに未来に伝わっていくのかっていうところを、近くに住んでいる先生にいろんな視点からお話をしていってもらうというものです。11月は『七五三』というように、季節ごとにテーマを決めながらやっています」
藤香想の原点にある音楽にまつわる催しも、工夫しながら再開中だ。
「音楽は小さいころから一貫して自分の中の基本だなと思ってやってるので、やっぱり好きなんだなって思います。人が集まれなかったのでしばらくお休みしてましたけど、今また少しずつ、いろんなお話が来てますね。ミュージシャン、芸術家のかたたちがいらっしゃって『またぜひお願いします』って言ってくれて。ここをどんどん使っていただけたら一番いいかなと思います。
もともと日曜の朝に定期的な音楽会をやっていたんですけど――朝といっても10時から11時くらいで――小さな音楽会から1日がスタートするのが、幸せですね」
藤香想のホームページ(※8)を開くと、ピアノの旋律が印象的な曲が聴ける。開店1周年記念にお客さんが作ってくれた、思い出深い曲だ。現在2作目に取りかかっているところで、合作プロジェクトに発展し、目下取り組んでいるという。
「2作目は自分たちで作ってしまおうと思ってるんです。みんなで合唱できる曲にしようっていうことで。曲が出来上がったので、デモを入れて歌ってもらうんだけど……。今またコロナで、どうやって録音しようかなっていうところですね。こういう曲をためていって、藤香想のアルバムを作ろうというプロジェクトがあるんですねけど、こういうことが本当に、私が一番うれしいことなんです。ここに来てくれるかたたちがつながりを持っていただけるっていうことが、すごく幸せ。この前は、九州に引っ越しちゃったかたが、緊急事態宣言が明けたときに『東京で仕事があったから』ってふらっと来てくれて。『今、こんなことやろうとしてるんだよ』って話をしたら、『いいね!』って言ってくれる。もう涙が出るくらい、そういうことがうれしいですね」
人と語らい、音楽、食事やものづくりを同じ空間で楽しむ――。人をもてなすことを実現したこの「場」も、7年目に入った。「コロコロといろんなことをやってきたから、ここを続けてるのが快挙なんです」と本橋さんは謙遜するが、持てるもの、つないでいくものを重く意識してきたからこそ、新しい場を生みだせたのだろう。
根岸 豊さん
「藤香想」に行くために要町のバス通りから、細い路地を歩いてようやくたどり着いた。こんな静かな住宅街の中に喫茶店が! お客が来るの? 継続できるの? そんな感じでインタビューに臨んだ。が、開業からすでに7年目で経営は順調だそうだ。
なぜ継続できているのだろう? 「藤香想」は緑につつまれたごく普通の古民家風カフェだ。だが飲み物・料理などを提供すると同時に、ミニコンサートや学習会などのさまざまな企画でイベントを行っている。こうしたイベントなどで「藤香想」を立ち上げたときの<誰でもが、集まり交流できるサロンを>との想いが、本橋さんに関わった人たちに伝播しているからだろう。
吉田 いち子さん
小説の一頁目を開いていくような感覚で、少し迷いながら歩く。住宅街の中にひっそりと佇むカフェ『藤香想』はある。
そのカフェオーナー本橋香里さんとお目にかかり、インタビューが進む中で感じる事。
その時代の〝時流〟に乗りつつ、香里さんは仕事の選択し、考えながら行動する。そのバイタリティに魅惑され、その頁はどんどんと進んでいった。
カフェの大きな窓から広がる庭が見える。
「鷺がきたことがあるんですよ」と、そんなこともあったという。ふっと、あの佳き昭和時代の土や草のにおいがした。懐かしさとともに溢れる温かさがあった。
いろいろな人がいろいろな想いで集い、利用してほしい・・・そんな本橋香里さんの強い想いこそが、立地条件や商圏諸々のコトガラの次元を超えた「集う場」になっていることを実感する。それが『藤香想』である。