としまひすとりぃ
ひと×街 ひすとりぃ

様々なひとが暮らす街。
ひとりひとりの日々の暮らしからそれぞれの物語が紡がれ、街の歴史を織りなしていく…
そんな物語の軌跡を区民インタビュアーがたどります。


5 みんなで柔軟に進むのが理想の団体

WAKUWAKUを立ち上げたとき、栗林さんは志を同じくする仲間たちに理事を頼み、やがて地域で支援の輪が広がり、組織はしなやかに強く育ってきた。運営方法は、WAKUWAKUの歩みさながらに有機的だ。
「もちろん組織として計画は立てるんだけども、ニーズさえあれば途中から新しいことをどんどんやっちゃう。ガチガチな組織になっちゃうと柔軟な活動ができなくなるから、いろいろな人の「あったらいいね、やってみたいね」の声から、皆で必要なしくみを創っていく団体でありたいねって言ってます。みんなで進むっていうのがいいんです。事務局は、本当になりゆきの団体で(笑)、名簿管理は子ども食堂に参加しているボランティアさんが担当してます。会計担当の方も、ずっとボランティアで子ども食堂と学習支援に来てた方で、公認会計士だというので相談したら『フルで働いてたところを去年、引退したけど、仕事は続けたかったからぜひやらせてください』って言ってくださって。それから、学習支援をしている弁護士さんも理事に入ってくれて、しっかりチェックしてくれる。みんなボランティアから関わっている人たちなので子どもの最善の利益を大切にしたいと活動してくださっています。ありがたいですね」

振り返ると、仲間のありがたさを痛感することはまだある。栗林さんが、プレーパークを介して困難を抱える子たちの問題について学び始めた頃のこと。自動販売機を壊したり、学校でも暴れていた強い葛藤が見られる中学生と関わり、栗林さんは何かしたいと模索していた。
「彼らの声って、こっちから拾ってかないと、行政には〈健全〉な若者の声しか届かない。その子も『結局は俺たちも、褒めてもらいたいんだよな……』って言ってて。子どもってみんなそうなんだな、と思いましたね。それで、近所の保護司さんと一緒に、区の地域活動助成金に申請するための企画の書類を、その子と書いてプレゼンしたんです。だけど、この案は支持されなかった。当時は、非行の子どものための居場所づくり活動に関してなかなかうまく仲間もつくれなかったし、誰も賛同してくれないときに仲間は大事だなと思いましたね」

「子どもが真ん中に」という栗林さんの視点、アプローチの方法は当時から変わらないが、仲間を得た今、その考えは地域に広がっている。かつて支援を受けた人が別の人を支え、声を届けようと動く。いざ孤立しても地域で誰かが見ていてくれるという安心感、「人を頼ってもいい」という風通しのよさが、活動をさらに広げているのだ。
「プレーパークで小学生のときから関わってた子が高校を中退して就職をしたと思ったら『その会社がブラックで……』と窮地に立つと電話してくるんです。それで弁護士さんにつなげました。今は、池袋本町プレーパークイベント「ウォータースライダー」で足場を組んでくださる建設会社さんに転職して、そこの社長がお父さんみたいに見てくれてたりとかね。やっぱり、子どもが真ん中だと本当にいろいろつながっていくし、インクルーシブな町になるな、って実感します」

豊島区

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