函館考古会の活動

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 昭和7年4月16日、会員組織による函館考古会が改めて発足した。会則は次の通りである。
 
     函館考古会会則
 一 本会ハ函館考古会ト称シ石器時代ニ趣味ヲ有スル者ヲ以テ組織ス
 二 本会ノ事務所ハ市立函館図書館内ニ置ク
 三 本会ハ石器時代ヲ主トシ併セテ之ニ関連スル事項ノ研究ヲ目的トシ之ガ調査研究発展等ノ事業ヲ行フ
 四 本会ノ経費(二〇〇(原文のまま))ハ必要ニ応シ会員相互ニ分賦ス
 五 本会ノ事務ハ幹事若干名ニヨリ行フ
     常任一名 当番二名(市内一名 上磯一名)
 
 会員には馬場脩、深瀬春一、伊藤昌吉、谷敬一、能登川隆、落合計策、阿部龍吾らがいた。第1回の研究調査は4月29日に亀田の桔梗サイベ沢遺跡で行われた。沢寄りに2か所の貝塚を伴う広大な面積の遺跡で、西側にあった貝塚から珍しくも縄文人の人骨1体分が発掘されたが、北海道で縄文人の人骨が発掘されたのはおそらくこれが最初であろう。
 この年7月18日から1週間、市立函館図書館で開館第5年記念行事として「はこだて先住民遺物展」が開催された。この展覧会は函館教育会の援助と、伊藤昌吉の献身的奉仕で資料収集できたものおよび函館考古会会員の収集品をもとに企画されたが、この時「郷土先住民遺物展覧会梗概」と「函館古譚石器時代付図」が発行されている。これには函館の郷土研究、郷土教育の上からも、先住民族の研究がいかに必要であるかが説かれており、また遺跡が消滅してゆく現状についても、「函館は近来急速に発展を致しました為めに、之等の人々″村上島之丞松浦武四郎、T・W・プレキストン、ジョン・ミルン・エドワード・S・モース″が研究した遺跡地が、市民の居住地となってその痕跡を失ひ、その遺物は散逸して行衛(方)も知れぬ状態であります。斯の如きは教育の基礎たる郷土教育上甚だ遺憾の事と存じます。」と、埋蔵文化財の保護を訴えている。こうした活動を通じ当時の函館考古会と中央の研究機関との交流ができ、大山史前学研究所出版の『史前学雑誌』第3巻に函館の谷敬一が「北海道石器時代遺物発見地表」を発表したり、上磯の落合計策が添山や久根別出土の土器を同研究所に送り、甲野勇が同誌第4巻に「北海道上磯町発見の縄文式土器」を報告したりしている。また、東北大学の山内清男と親交があった能登川隆は住吉町などの遺跡を発掘し、恵山貝塚出土の資料をまとめた『北海道恵山先史遺物図集』を自費出版した。この資料は一括市立函館博物館に寄贈され、能登川コレクションといわれて市の文化財に指定されたが、このうち椴法華式尖底土器は北海道指定有形文化財となり、考古学や美術関係の図書にも紹介されるようになった。

昭和7年の函館市内遺跡分布図『函館古譚石器時代』(市立函館図書館蔵)