寛政12(1800)年春、属僚らは江戸を発して箱館に渡り、越年の吏員とともにその設営に当った。すなわち、旧亀田奉行所の番所(現市立函館病院の所)をもって役所とし、各自の住居は小屋を繕ってこれにあて、4月三橋成方が来箱し、亀田村にあった旧亀田番所を修理してここに住み、諸般の指揮を執った。またこの年、小納戸頭取格戸川藤十郎安論、小納戸大河内善十郎政良が命を受けて、蝦夷地を巡察して国後に至り、9月には村上常福が箱館に来て三橋成方と交代し、翌享和元(1801)年冬までその指揮に任じた。そして享和元年、松平忠明、石川忠房、羽太正養の蝦夷地巡視によって、具体的に蝦夷地経営の方法が確立したのである。