なお、奉行庁の移転により箱館に大きな打撃を与えるおそれがあったため、特に箱館には吟味役を置いて、東蝦夷地を支配させ、ただ重要な案件だけについて松前奉行の決裁を仰がせることにして、市民の動揺を防いだ。ことに東蝦夷地の直捌(じかさばき)を廃止(後述「第7節 場所請負制の再開と箱館経済」参照)した後は、同地方の主要な場所は福山の商人の請負となり、箱館が衰退するおそれがあったので、さきに特命をもって、文化7年択捉場所の開発に当らせた巨商高田屋嘉兵衛に、同13年根室場所をも兼ねさせ、更に文政2(1819)年幌泉場所を請負わせて、これによって東蝦夷地の貨物の大部分を依然箱館に集散させることにし、著しい打撃を免れるよう配慮した。