広告 第二大区三小区 壱ノ組組合頭 鈴木久蔵、弐ノ組組合頭 及川源兵衛、 三ノ組組合頭 富原九一郎、四ノ組組合頭 植原定兵衛、五ノ組組合頭 高岡正太郎 右ハ今般伍組編製ノ義伺済相成候ニ付、其区組々組合頭公選ノ義本月十二日投票之処、前記ノ各名投票多数ニ付、本日組合頭申付候間、此段広告ニ及候也 第二大区三小区中 (明治九年第一月ヨリ第六月卅日ニ至「本使御布達」) |
またこの組合頭編製法の第7条には、「組合頭ハ該組中ノ公選ニ出ツレハ、即チ其組中ノ名望アル者トス、故ニ区務等ノ義ニ付衆議ノ節、惣区ノ組合頭集会ノ世論ヲ尽クシ、議一途ニ出ツルモノハ区中異議ナシト見做シ其議ヲ定ム」(「桜庭為四郎文書」道図蔵)と、区務に関して衆議が必要な場合は、市中の組合頭の集会で議論が一致すれば、区の議決とする旨も定められていた。組合頭編製法により組合頭の位置付けが明確になると、江戸時代には組合頭の異名とされていた伍長も、伍組のまとめ役としての位置付けが明確にされた。伍組は、隣近所5戸(基礎単位)が月番で伍長を勤め、布達類の伝達と共に組内の協和親睦を図るものとなったのである。組合中の各伍組は、1号、2号などと号数をもって呼ばれた。第2大区4小区内澗町の6ノ組に属する田中正右衛門家の「諸用留」に書き留められた「月番伍長事務取扱心得」(明治9年第1月ヨリ第6月丗日ニ至「本使御布達」)には、まず、「月番伍長は五戸中一ヶ月を以交番相勤む、甲の者勤む終て乙の者交番の節は兼て月番信符を造置、甲の勤済の者より月番信符を其組合頭へ送致、組合頭より乙の月番の者へ右信符を授け月番伍長の証とす、然して月番伍長は其の一ヶ月中は御布達其他区務等の事請込、四戸の中へ通知すへし」と伍長の月番制の説明をし、他に「伍組中互に協和親睦を主とす、伍中に鰥寡孤独廃疾或は不時の災害に罹り困難等の者あらは、月番伍長早速より其組合頭へ相届けべし」等、3か条の心得が記されてる。法度遵守と相互監視を主眼とし、5人組の連印を要求した江戸時代の五人組帳とは大いに趣を異にしている。この6ノ組の伍長月番表を示すと表2-29の通りである。
町会所、区務所、小区扱所の関係と区長、戸長、町用掛、組合頭、伍長を系統図的に図示すると図2-1となる。
表2-29 第2大区4小区内澗町6ノ組伍長月番表
蕃号 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 |
1号 | 岡田忠三郎 | 佐藤平次郎 | 五十嵐三次郎 | 伊藤弥太郎 | 山本善吉 |
2号 | 小西八郎兵衛 | 桝藤兵衛 | 尾張とき | 金沢良吉 | 田中正右衛門 |
3号 | 石川小十郎 | 板垣元三郎 | 四十物松蔵 | 藤谷清吉 | 浜西出つね |
4号 | 小西出たけ | 讃岐栄三郎 | 飯田治作 | 大谷儀左衛門 | 坂野勝太郎 |
5号 | 新与三郎 | 宮越治助 | 天王寺辰三郎 | 森浅五郎 |
図2-1 町会構成