新体制下の病院

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初代病院長 馬島春庭

 
 新政府の下で箱館医学所箱館府民政局に属し「民政方病院」と通称された。組織や医員の変化もあって「箱館裁判所人名録」には参事席・安藤精軒、病院掛・深瀬洋春とあり、その他釧路詰、石狩詰、室蘭詰とこの時に民政方病院は函館だけではなく、北海道を管轄する病院とされたことがわかる。その後一時期箱館戦争によって病院も混乱があったが、明治2(1869)年7月に開拓使が置かれると、民政方病院は開拓使に直属する病院とし、東京にある大学東校によって医師やその等級が決められることになった。この大学東校とは、幕末に蘭方医学の研究所としてあったものが変遷を重ねたものであり、東京大学医学部の前身となった施設である。このように中央と直結したのは、開拓使にとって、「北海道の開拓をになうべき移民の医療問題は大きな要素をもつもので、この対策いかんは、一面で北海道開拓の成否にもかかわるものであった」(『新北海道史』通説2)からであろう。その開拓使の医療政策の要に据えられたのが、函館病院であったといえる。さて実質的に函館病院が開拓使の所管に入るのは、長官東久世通禧が、来函した9月以降のことである。3年10月の「開拓使職員録」によれば病院には、1等(大主典上席)馬島春庭、2等(権大主典次席)深瀬洋春、3等(少主典次席)深瀬鴻堂、4等(権少主典次席)滝野、大得業生日野鼎民、5等(医史生次席)橋本龍三、等外2等医下山栄斎、給仕吉田、高嶋利蔵、寺崎、岩崎藤蔵、北川とある。しかしこの陣容は、恐らく長官赴任当時のものであって、更に一部書き込みがされているのが3年9月のものであろう。それによれば、深瀬洋春がやめて中助教林洞斎が入り、滝野と橋本龍三がやめて、中得業生田中尭民と3等医渡辺周斎が入っている。1等医の馬島は函館病院の院長であるが、長崎で蘭医ポンペ(Pompe,van P.)について西洋医学を学び、大学東校の中助教の地位にあった人物である。なおこの他に小樽、札幌、宗谷、幌泉、根室、東京の各地詰の医員もいて、それぞれ函館病院が掌握していた。3年閏10月には病院が大学東校の所轄になり、開拓使は薬品諸器械、諸経費を負担するだけとなった。
 病院の規則も、2年11月に改められた。官員と従僕・貧民の治療は官費で賄われ、その他は冥加金として1日1分を納めることとされた。5年には函館支庁病院細則が決められた。これによると、薬価・賄料については、商工業者は自費で、移農民と窮民とアイヌは官費で賄われることになった。また外国人入院者は上等が1日1円、中等が70銭、下等が50銭とされ、日本人は一律1日10銭と白米5合とされた。「外国人」の規定があるのは、いかにも函館らしい特徴である。また医師に対しての規制として、官医は他に個人的に治療を行うことが禁止され、診察を請う者には必ず病院を通して薬剤を出すことが決められた。翌6年3月に病院規則が改正され、入院患者規則、外来患者規則、救助患者規則が定められた。このうち救助患者規則は、公務上の傷害はその主宰の官庁が費用を負担し(1日5人まで)、市中の窮民は民事係に申し出ると、事情を調査の上で、入院施薬が認められた。さらに10年にも諸規則が改正された。この時には窮民に対して函館病院で、薬価半額券と施療券が発行されることになった。これは従来窮民への施薬の規則がなかったため、治療の不十分さが原因で死亡する者がいては不憫である、という理由で定められたのである。これでもわかる通り、函館病院の役割の1つとして、貧窮民への施療があった。後述するように、11年に公立第一(後に豊川と改称)病院が建てられたがここでも、薬価半減券及び施療券が発行された。15年に区内でこの制度を適用された人数は201人で、要した金額は936円81銭1厘とあるが(『函館県衛生年報』)、この年の函館・豊川両病院の患者総数に占める割合でいえば、およそ2パーセントでしかない(表12-1参照)。
 
 表12-1 函館病院、豊川病院患者数
 区分

年次 
函館病院
豊川病院
入院
外来
合計
入院
外来
合計
明治 5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
587
752
754
820
1,019
517
1,333
430
598
849
648
514

477






3,399
3,382
4,025
3,961
9,687
7,376
9,632
5,274
4,611
3,985
3,770
4,189

5,317






3,986
4,134
4,779
4,781
10,706
7,893
10,965
5,704
5,209
4,834
4,418
4,703

5,794
4,742
4,776
5,364
7,426
6,724
7,106
 
 
 
 
 
 
108
385
803
752
139
147

635






 
 
 
 
 
 
1,038
6,128
0
7,777
4,329
2,154

3,596






 
 
 
 
 
 
1,146
6,513
803
8,529
4,468
2,301

4,231
6,392
6,592
7,608
8,108
8,261

7,977

 豊川病院は明治11年10月設立(設立当時は第一公立病院)
 『開拓使事業報告』『函館県統計書』『北海道庁統計書』より作成