前松前藩時代、亀田郷の村々に直接在村していた役人は小頭だけで、亀田奉行―名主―年寄といった役職の者は、みな当時箱館に在った亀田番所に勤務していた。しかしこの時代に入るや村々に、名主―年寄―小頭が在村して仕事をするようになり、この名主制度は途中多少の変革はあるが、明治初期村用係の制度が定められるまで続けられた。次に村尾元長の『維新前町村制度考』(略記)により、この時代の名主の選び方や職務内容についてふれてみたい。
第一 名主ノ設置人員受持撰挙退職給料等ノ概略
名主・年寄・百姓代ハ村方ノ三役ト称ス。名主其上役ナリ。各村皆同ジ。
○名主ノ撰挙ハ地方ニ依テ同一ナラズ。亀田郡及上磯郡各村ハ皆村中協議、人望アルモノヲ撰ンデ名主トス。而シテ撰挙毎ニ印鑑ヲ添へ函館奉行所〔松前藩治ノ時ハ松前藩吏函館派出ノモノ〕へ届出ルナリ。
○名主ノ給料、亀田郡亀田村ハ袴料トシテ一ケ年金拾両、鍛冶村・神山村・七重村各村之ニ同ジ。
○事務所ハ大抵自宅ヲ以テ之ニ充ツ。或ヒハ特ニ之ヲ設クル村アレドモ甚稀ナリ。名称ハ大抵村役場ト称ス。
○名主ハ事務取扱ノ為メ役場ニ日勤スルニ非ラズ。村用アレバ之ヲ弁理スルニ止ル。
○服制、松前・江差地方ノ村々ハ幕府ノ諸役人松前藩主或ハ同藩ノ重役〔家老ノ類〕通行ニ際スレバ必ズ送迎ヲナシ、麻上下ヲ着用ス。其他普通役人ノ通行ハ袴羽織ヲ用ユ。御用御呼出ニテ奉行所等ニ出ルモ亦同ジ。函館近在〔茅部上磯亀田及山越各郡村々〕村名主ハ年始ニハ麻上下ニテ函館役所ニ出頭ス。其他松前ニ同ジ。
第二 職務権限ノ概略
○名主ノ職務ハ一村ニ長トシ、一村ノ取締ヲ以テ責任トシ、村内総百姓ヲシテ諸法令ヲ遵奉セシメ、諸役銭ヲ上納シ、村入費ノ賦課及徴収ヲ為シ、諸願届ニ連署又ハ奥印シ、村中ノ諸務ヲ弁理スルコトヲ掌ル。
茅部・上磯・亀田諸郡幕府直轄ノ時ハ函館奉行ノ直轄ニシテ、総ベテ奉行ノ指揮ヲ受ク。松前藩治ノ時〔享和以前及ビ文政四年ヨリ安政ノ初マデ〕ハ松前藩ノ直轄ナリ。
○名主ノ職務条件ハ大凡左ノ如シ。
第 一 触達ヲ村中ニ示スコト
第 二 百姓諸願届ニ奥印スルコト
第 三 村中ノ事ニ関シ利害ヲ申立又ハ願伺ヲナスコト
第 四 篤行奇特者及鰥寡孤独ノモノヲ具状スルコト
第 五 諸役人通行取扱ノコト
第 六 駅逓ノコト
第 七 宗門改ノコト
第 八 旅人改ノコト
第 九 村中入費賦課徴収ノコト
第 十 道路橋梁修繕ノコト
第十一 変死人立会ノコト
第十二 難破船救助及立会ノコト
第十三 百姓ヲ集会スルコト
第十四 漁場・宅地売買ノコト
第十五 百姓呼出ノ節付添ノコト
第十六 献上物ノコト
第十七 漁獲品検査立会ノコト
第十八 冥加金等取立上納ノコト
第十九 拝借米割付及返納ノコト
第二十 五人組ノコト
第廿一 牛馬改ノコト
右列挙スルモノハ松前及江差村落名主職務ノ要目ナリ、他ノ各村モ大同小異ナリ。