箱館奉行の馬産奨励と馬市

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 後松前藩の時代あまり積極的でなかった松前藩の牧馬政策に対し、後幕府時代の竹内、堀、村垣などの箱館奉行は、蝦夷地開拓と防備の必要上から牧場の開設、馬市の開催、飼育方法の布達(保護のため)などを行い、良馬の繁殖に努めた。
 すなわち従来の有珠、虻田にあった牧場に更に安政五(一八五八)年浦河に牧場を開設し、馬質改善のために不良馬百八頭を箱館に払い下げ、また西蝦夷地で新道建設や駅馬として百頭の利用を図り、牧場には良質馬のみ残し、馬質の向上に努めた。この結果牧場には次第に良質馬が増加するようになった。
 更に箱館奉行は良馬の普及と繁殖により、幕府財政の補充などを図ろうとし、安政四(一八五七)年亀田村に馬市を開催することを布達した。
 
         触 書
  一 今度馬市御取開に付、市在六箇場所とも、馬持のもの、馬員数取調方大小の村々に応じ、一箇村或は二三箇村組合相立、馬差のもの可申付間、身分は名主、頭取進退いたし、初年より市在共馬持一軒に何匹と巨細に相改、兼て村々に於て大帳取拵置、右帳面致廉訳、逸々相印候上、馬手形差出候へば押切印致、馬持ども銘々に相渡、猶翌年馬市売買相済候後、残馬員数等又々相改、手形差出候へば書替相渡、右手形は上納可致事。   
   但、持馬壱匹に付壱箇年役銭弐百文宛上納可致、尤当歳より二歳迄は役銭可免除事。
  一 馬手形認振左の通
      馬手形の事
    一 何毛駒  何歳  何疋
    一 何毛駒  何歳  何疋
    一 何毛駒  何歳  何疋
      小以て何拾何疋
    内
     出生 何毛馬 何月出産仕候
        何毛馬 病馬の処 何月落馬
     死馬 何毛馬 何月熊に逢、死亡仕候。
   右の通所持罷在候。以後出生並死馬等有之節は、名主馬差へ相届候様可仕候。依て如件。
     年号月日             何 町 村
                      百 姓 誰  印
   前書の通立会相改候処、相違無御座候。出生並死馬等有之、相届候はゝ私共限承置、進退馬持の分一緒に御届可申上、死馬は皮剥取為差出上納可仕候。仍如件。
                      何 町 村
                      馬差  誰  印
  一 年々市在六箇場所共、春秋馬改として出役可差出処、品に依り日数逗留致居候節は下々難渋にも及可申間、右は先暫く不差出、自然不取締の義相聞るに於ては其節臨時に出役差遣、為取調候間、兼々名主、馬差より馬持共へ入念可申付置候。
  一 馬市の外、他国他領へ馬売買致候義令停止、御料所内は馬市に不拘、平常売買は村役人、馬差共へ相届、都合次第致売買、印鑑の義は名主、馬差共より願次第可相渡間、其節判銭上納可致候。
  一 馬市の儀は当五月上旬亀田村葭川野に於て牧場取建、東地ウス、アフタ牧場より駒並牡牝馬牽入、猶又市在六箇場所馬持共所持の分、二歳より三歳の駒其余売払度馬共、何れにても馬主の札を付て四月下旬までに右場所へ牽入置き、馬代金の義は牧場出馬ニ不限、市在の馬共売買の馬喰立会、名主、馬差共馬形、素生等を見定め、馬主器量に応じ何程にても相互に糶売買致、双方直段取極候上、村々最寄の名主、馬差共手帳へ致売買候もの相印、其節出役のものへ印鑑相渡。
    但、印鑑役銭売主より弐百文可上納事。
  一 馬市相済候上、村々馬の出入多少に応じ名主、馬差共へ御手当被下置候間可其意事。
  一 市在六箇場所馬持共是れ迄駒二歳より以上髪刈来候処、以来は二歳に不限駒の分は髪刈候義堅令停止候事。
  一 出生の駒、二、三歳に相成候得ば馬切挟疪馬に致し候もの間々有之趣相聞、以ての外の事に候。以来疪馬に致もの於之は急度沙汰及べく間、心得違無之様可致候。
   右の通今般御取究被仰出候間、得其意、委細の義は牧場掛同心小島栄左衛門、吉田龍左衛門より可承合候。
    巳(安政四年)三月
 
 この布達は村々における馬市開催準備のための馬管理規則と馬市開催上の規則の二つの部分から成っており、開催準備の方は(1)組合を組織すること、(2)馬差を定めること、(3)馬差は馬数を検査、台帳を整備記入、馬手形の割印などをすること、馬持は役銭を一年に馬一匹につき二百文ずつ納めることを定めており、開催規則は(1)馬検査は年二回春秋行うこと、(2)馬市以外は他国との売買を禁止すること、(3)馬売買は村役人、馬差へ届け出ること、(4)売買成立後は判銭を納めること、(5)馬市開催は五月上旬亀田村で行うこと、(6)その他売買上の手続などの内容であった。
 以後このような方法によって村々で馬が取扱われ、毎年五月上旬には亀田村で馬市が開催されるようになった。