亀田川にて異人洗濯の図 市立函館図書館蔵
安政二(一八五五)年六月七日、和親条約を締結していないフランスの軍艦シビル号が入港し、食料、水の供給及び病人の上陸養生を求め、最初はこの艦の処置に苦慮した箱館奉行も、人道上の立場から上陸養生を許可し、実行寺に病人の養生所を開設した。
シビル号入港後、同月十四日にはウィルギニー号が入港した。さらに両船出港後、一息つく暇もなく七月二十九日にはコンスタンティーン号が入港し、シビル号と同じ処置を求め、奉行はこれを許可した。
箱館入港の仏艦乗組員は、毎日のように亀田川河口に上陸し、洗たくを行い、時には小魚や貝を採ったり、泳いだり、中には鍛冶村付近まで散策を試みる者も見られた。
『安政二乙卯年自六月至八月 佛船碇泊日記』(函館市史史料編第一巻所収)に、次のような記事がある。
六月十三日
一 辰中刻頃より午上刻頃迄に、追々弐百三拾壱人、亀田川へ漕入、衣類洗濯并蜊(アサリ)掘取、未中刻より申中刻頃迄に追々引取候旨、在方見廻りのもの届出候事。
六月十九日
一 卯中刻ウヰルギニー船のもの四拾八人、バッテイラ弐艘にて亀田川尻え漕寄、内士官弐人上陸、鍛冶村辺え罷越、其余のものは洗濯いたし、申刻までに追々本船え立戻候段在方出役のもの届出候事。
またシビル号、ウヰルギニー号、コンスタンティーン号及び実行寺に設けられた養生所では毎日多量の野菜、米、鶏卵、魚などの食料を入用とし、これらは箱館奉行所によって、近在から調達され、提供されていたが、この中には亀田諸村から購入された品も多量にあったものと考えられる。