五稜郭の築造

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五稜郭庁舎 市立函館図書館蔵

 このあと安政三(一八五六)年五月竹内、堀の両奉行は更に伺書を幕府に提出し砲台の築造その他について上申したのであるが、幕府は台場の建設と五稜郭の築造を許可し、設計書を提出させ、予算支出額を決定した。
 五稜郭は、はじめ柳野と呼ばれていた所に築造するため柳野御陣営とか亀田役所土塁などと呼ばれているが、箱館奉行所の治所として更に防衛拠点として築造されたものであった。
 設計者は、諸術調所教授武田斐三郎で安政三年十一月工事に着工し八年の年月を費やし元治元(一八六四)年五月竣工し、同年六月箱館奉行小出大和守秀実はここに箱館から奉行庁舎を移し開庁したのである。
 なお郭外には安政三(一八五六)年から同心長屋、定役・組頭などの役宅が建てられ、その外に五稜郭の鬼門(北東のすみ)を守る意味で元治元年には東照宮が建立された。