明治十五年二月八日開拓使が廃止となり、函館・札幌・根室の三県が置かれ、これに伴い同年三月十一日函館県警察本部が開設された。
一方、亀田地区においては明治十四年四月、内務省達により、請願巡査派出所の制度が定められていたが、これに基づき亀田村総代と不動産所有者総代は、明治十五年八月十八日次のように亀田村巡査派出所設置願いを函館県令に提出した。
亀田村巡査御派出の義に付願
当村の義は若松町巡査交番所より時々巡回御保護相来り、抑当地の形成たる、札幌及福山并東海岸各村は往復する道筋に有レ之、且一昨十三年郡役所御設置以来人戸も漸次繁殖、随て人民住するも今日の景況にては殆ど市街櫛比の地に異ならず、加ふるに春期漁夫雇人の期節の如きは其雑沓申迄も無レ之、就ては是非当村へ休憩所を建設せられ、巡査両三名御派出相願度、村中希望罷在候処、官に於ても費用御多端の御場合、前陳の事情悉皆奉二請願一候も恐縮の至に付、先以て村中有志者協議の上、休憩所を建設、同所に於て費用する薪、油の義は村中共議費を以年々差出候間、特別の訳を以巡査両三名御派出相成候。実に家業に安堵仕候に付、御採用被二成下一度此段奉レ願候也。
この請願は受け入れられ、函館県令より願の趣を聞き届ける、ただし一両名を時々派出するという許可を得た。
第千二百四拾壱号
願の趣聞届候事。
但巡査は一両名時々派出する儀と心得べし。
明治十五年八月二十三日
函館県令 時 任 為 基
その後明治十六年十月佐野定七は亀田村一九番地へ四六坪に三九七円八銭九厘を費やし、警察分署を建てて寄贈(地代金無料)した。このようにして建物その他の準備が整ったので、明治十六年十一月十四日、函館県告第五十八号布達により、函館警察署亀田分署として設立を認められ、亀田郡一円を管轄することになったのである。
明治十八年九月印行の『函館県警察規則 全』によれば、
第三章 警察分署
第七条 警察分署ハ警察署ノ管轄ニ属シ、部内警察ノ事務ヲ調理ス。
第八条 左ニ列記スル諸件ハ警察分署長之ヲ専行シ、其他ハ警察署権限内ノモノハ警察署長ニ、警察本署権限内ノモノハ警部長ニ、自余ハ警察署長、警部長ヲ経、県令ニ禀議施行スベシ。
但成規、定例アルモノハ此限ニアラズ。
一 部内巡視及ビ戸口調査ノコト
ニ 主管ノ事務ニ付、其名又ハ署名ヲ以テ裁判所、警察署、分署、郡役所、戸長等へ文書往復ノコト
三 違警罪裁判及遺失物埋蔵物処分ノコト
四 検視、検証、処分及監視人、執行囚人逓送ノコト
五 諸届書ヲ受理シ及諸説諭願ニ関スルコト
六 諸興行願許可ノコト
七 消防夫ヲ指揮スルコト
ハ 例規内経費支出ノコト
九 署内ノ記録文書ヲ整理シ及ヒ之ヲ保管スルコト
同書の「函館警察区画明細―明治十八年六月―」によれば
函館警察亀田分署
位 置 渡島国亀田郡亀田村
距 離 県 庁 一里五丁三十間
警察署 二十五丁三十間
管轄地名 渡島国亀田郡 村二十九
亀田村 上湯川村 下湯川村 根崎村 志苔村 銭亀沢村 石崎村 小安村 戸井村 尻岸内村 椴法華村 亀尾村 鍛冶村 神山村 赤川村 石川村 桔梗村 大中山村 一本木村 千代田村 鶴野村 大野村 本郷村 文月村 峠下村 市渡村 藤城村 軍川村 七飯村
と記されている。