明治維新政府蝦夷地の経営に着手

9 ~ 9 / 521ページ
 明治維新新政府は、蝦夷地経営のために人を派遣することを決定し、慶応四(一八六八)年四月、清水谷公考箱館裁判所副総督(すぐに箱館府知事となる)以下を箱館へ派遣して、幕府最後の箱館奉行杉浦誠から政務を引き継いだ。箱館と周辺地域は、箱館奉行が直轄的に行政を担当する地域であったので、銭亀沢村なども同様に箱館裁判所に引き継がれた。その時引き継がれた町と村は表1・1・4のとおりである。
 しかし、箱館府が政務の緒に着いた十月、榎本武揚らの旧幕府脱走軍が蝦夷地を襲い、すぐさま掌握してしまった。このため「箱館戦争」を経て、翌明治二(一八六九)年五月に榎本らが降伏するまでその管轄下に置かれた。榎本らが江戸に護送され、蝦夷地の経営は一旦箱館府の手に帰したが、七月八日、中央の官制改革で開拓使が設置され、九月二十五日、東久世通禧長官以下が箱館に到着した。三十日には開拓使出張所が開庁、北海道(八月十五日に蝦夷を北海道と改称)経営の統轄を開拓使が担当することとなった。この開拓使出張所は明治四年五月に函館出張開拓使庁、同五年九月に開拓使函館支庁となっている。
 なお蝦夷を北海道と改めた時、全道を一一か国八六郡に区画することも同時に布達されている。この区画割で箱館付近は渡島国となり、渡島国は亀田、上磯、茅部の三郡に区画されたが、『開拓使事業報告』によると各郡の所属村落が定められたのは明治四年四月である。

表1・1・4 箱館奉行から箱館裁判所へ引き継がれた町と村
「慶応四年箱館地方及蝦夷地引渡演説書」『函館市史』史料編第一巻により作成