[函館と亀田半島の気候特性]

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 北海道開拓使の顧問団長H・ケプロンは、函館で初めて気象観測を行った英人トマス・ブラキストンの観測資料を活用し、道南の気候が北米北東部各州と比較して同程度であると述べている。1872年(明治5年)、ブラキストンの進言で官設の気象観測の必要性が採択され、日本最初の「函館気候測量所」が開設された。以来、130年におよぶぼう大な気候観測資料が、現在の函館海洋気象台に蓄積されている。
 最近30年間の函館における年平均気温・降水量などの観測資料をみると、函館は、このケプロンの故郷マサチューセッツ州ボストン(北緯42度22分、西経72度02分)の気候によく似ていることが分かる。例えば、1961〜1990年の年平均気温は、函館(北緯41度49分、東経141度45分)8.5℃、ボストン10.7℃、同30年間の年平均降水量は、函館1154.9ミリメートル、ボストン1055.2ミリメートル、1961年〜1967年の年平均相対湿度(そうたいしつど)は、函館76%、ボストン68%といった具合である。
 ところで、渡島半島南東部にあたる亀田半島は、北海道の気候区分から「太平洋側西部」の気候に属するが、地形的には津軽海峡に突出しており、日本海東側より太平洋に抜ける対馬暖流(つしまだんりゅう)(津軽暖流)の影響を大きく受けた海洋性の気候が卓越する。したがって、道央・道東の札幌・旭川・帯広・北見地方と比べ夏は酷暑とならず、冬は厳寒となることはない。月平均気温の年較差(℃)の小さい温暖な(月平均気温8〜10℃)気候地域となっている。
 また、亀田半島南東端の恵山町および椴法華村は太平洋に臨んだ町村である。千島列島より南下する寒流の親潮と、上記の対馬暖流は、とくに夏期において交会し、多量の水蒸気が凝結して濃霧を生じ、船舶の運行に支障を来すことも珍しくない。一方、津軽海峡を挟んで、対岸の青森県下北半島の気候と、亀田半島西端の函館の気候を比較すると、表2.1(函館と下北半島むつ市の気候比較)のとおりである。表2.1によると、年平均気温は下北半島のむつ市が函館より0.6℃高温であるが、夏期8月の平均気温は両市とも殆ど同値(函館21.6℃、むつ21.8℃)である。他方、冬期1月の平均気温は、函館が1.4℃低く下北半島より明らかに冬のシバレが厳しい。1、2月におけるむつ市の月平均気温の高いこと(平年マイナス2.0℃前後)が、函館より若干年平均気温を高める要因となっている。

表2.1 函館と下北半島むつの気候比較
注)統計期間:函館1961-1990年、むつ(旧田名部測候所)1931-1980年「青森県百科事典(1981)より抜粋」

 
 一方、年降水量は函館の1155ミリメートルに比しむつ市は1366ミリメートルとかなり湿潤であり、下北半島は降水量(1400ミリメートル前後)とからみると準裏日本気候の特徴をもつといわれる。下北半島における年降水量の分布を見ると、半島南部から北部に行くにつれて1400ミリメートルから1200ミリメートルに減少するが、対岸の亀田半島の降水量より多い。冬期間の降雪の初日、終日は、函館とむつ市では殆ど同時であるが、平均月最深積雪はむつ市74センチメートルで函館より約30センチメートル深く多雪地帯となっている。
 亀田半島と青森県下北半島は、地理的位置と気候の類似性から巨視的に見て、ボレアル(温帯)気候と暖温帯気候の漸移帯の最北端に位置している。日本列島の気温図表(例えば井上・羽多野、1983)からみると、北海道南部の亀田半島・松前半島と本州北端の下北半島・津軽半島は、年平均気温(8.0〜11.0℃)と月平均気温の年較差(23〜27℃)とは大部分が重なり合う。このことは、北海道とサハリン(旧樺太)間の宗谷海峡のような「気候上のギャップ」は、津軽海峡の場合ほとんど存在しないことを意味している(井上・羽多野、1983、藤木、1987)。
 以上のような亀田半島と下北半島の気候の類似性が、江戸期から現代に至る両半島地域の歴史・居住・産業(とくに漁業)などに多大な影響を及ぼしたと推測されよう。有名な活火山恐山をもつ下北半島の中心都市むつは、恐山山頂に恵山とよく似た山岳崇拝(さんがくすうはい)の霊場を有することで知られている。1971年(昭和46年)、むつ市と恵山町が姉妹観光地の提携を結んだ背景には、両市町がよく似た活火山と霊場を有するのみならず、上述したような地質・気候・歴史・文化と観光を含めた産業に、多くの類似性を認めたためと考えられる。