海洋を職場とする漁民は昔から「板子一枚下は地獄」といい、天候には極めて敏感である。
親や先輩から教えられたことを基礎にし、又自らの体験を積み重ねて、風や波の状態、雲の動き、朝夕の日照等により直観的に天候の推移を予知するのである。戸井地域だけの局地的な天候の排移の予断は或場合には気象台の天気予報よりも的中することがある。漁民にとって天候の予知は命がけなのである。然し気象台の予報を軽んじたり、機器による判断をおろそかにして感や経験のみに頼る結果、何年に一度という海難事故に遭遇することもある。
目で見、肌で感ずる、経験による予知を大事にすると同時に、気圧計等による科学的な天候予知の修練を積み、気象台発表の気圧配置等により天候の推移を適確に予知する方法を身につけるべきである。感や経験のみを重視する保守性を速かに改めるべきであろう。そのためには漁民のすべてが気象学の基本を身につける必要がある。
天候は風によって変るということは常識であり基本である。風によって波が低くなったり高くなったり、突風、烈風になって大しけになったり雨が降ったり、風が吹いたりということは常識である。風の方向や強さ、雲の流れる方向や速さ、波の高低を見れば永年の経験から或程度の天候の推移を予測出来るだろうが、経験と異なる結果の出ることが間々あるのである。
海洋における天候の推移の根本は風である。風がどのようにして発生するかという基本的なものを知悉していなければ、感のみに頼って失敗することがある。風は気圧の差によって発生するということも現在では常識であろう。風は高気圧の地域から低気圧の地域に空気が流れることによって起るのである。水が高い所から低いところへ流れるような現象で、緩やかな谷を流れる水流はゆるやかで、急な谷を流れ下る水流は速いという理屈と同じである。高気圧と低気圧の差が大きければ大きい程、風速が速く強いのである。
然し何ミリバール以上が高気圧で、何ミリバール以下が低気圧という基準はない。標準気圧は一〇一三ミリバールであるが、これ以上が高気圧で、これ以下が低気圧ということではなくて、或程度比較の問題である。永年沿岸漁業に従事しているベテランに気圧のミリメートルやミリバールのことを聞き、標準気圧とは何かと聞いても満足に答弁が出来ない。バロメーターは持っているが、常識的な見方だけを知っているだけで、後は感に頼っているという証拠であろう。
昔、日本では気圧を表現するのにミリメートルという単位を使った。水銀柱を七六〇ミリメートル(七六センチ)あげる気圧を標準気圧とし、七六〇ミリメートルと称した。然し戦後はミリバール(mb)という単位を使うようになった。ミリバールは圧力の単位であって、一バールは一気圧の重量で、一平方メートルに一万キログラム(十トン)の重量のかかる気圧である。気象学では一バールの千分の一気圧を一ミリバールというのである。一バールは水銀柱でいえば七五〇ミリメートルで、昔の標準気圧七六〇ミリメートルをミリバールに換算すれば約一〇一三ミリバールである。ミリメートルをミリバールに換算するにはミリメートル×4/3として計算し、逆にミリバールをミリメートルに換算するにはミリバール×3/4として計算すればよい。こういうことを知って気圧計の見方に習熟しなければならない。気圧計には水銀気圧計とアネロイドの二種がある。
風は高気圧から低気圧に向って吹くが、真すぐに或は直角には吹かない。地球自転の影響をうけ北半球では高気圧のまわりでは右廻り(時計の針と同じ)低気圧の廻りでは左廻り、(時計の針と逆)に吹くのである。
[高気圧]
[低気圧図]
戸井附近即ち津軽海峡に低気圧がある場合、低気圧のミリバールと移動方向並に高気圧の配置とで判断すれば天候の推移を予知出来る。又高気圧のある場合もその移動方向と気圧配置で検討すれば大体の天候の予測ができるのである。忘れた頃に海難事故を起す漁民の命取りのヒカタの突風も気圧配置や津軽海峡の気圧の状況、上空の雲の流れや速さに注意すれば遭難を事前に回避できるだろう。ヒカタの突風も気象学の方則によって起るべくして起っているのである。
低気圧の移動進路には大体の方則がある。
熱帯性低気圧は、始めは西進し、中途から北或は北東に反転し、或は北方又は北西方に直進し稀には輪を描いて廻ることもある。
温帯性低気圧は概して東方に移動し、時には南東や北東にそれる。
戸井地域が高気圧に覆われた場合は晴天で、風弱く、寒冷であり逆に低気圧の場合は曇天又は雨雪を伴い、割合に温暖である。
日本海に低気圧が発生し、北上する場合、戸井では東風又は南東風(ヤマセ)が吹き、曇天或は雨や雪を伴い、風が冷たい。
逆に太平洋に低気圧がある場合は西風が吹き天気は快晴で、風も暖かい。下海岸では西風を上風(かみかぜ)と称し、夏から秋にかけては昆布採取の日和である。
経験の集積による常識や感を大事にすると同時に天候測定の機器をもっともっと重要視して不測の事故を避けるべきである。災害は忘れた頃に襲うものである。
(2)風と天候
①風の方言名
①風の方言名
○ 沿岸漁業では、アイゲ、シモゲ、ヤマセなどは波が高く、天候が悪い場合は出漁しないので心配はないが、ヒカタの突風は、晴天で微風又は無風状態から急激に雨、雪をつけて襲うので、十分注意を要する。
ヒカタの突風の襲う前徴と推移は前に述べた通りである。
○ 昭和三十八年一月十六日、タコ、ババカレイ漁に出漁中の戸井の漁民十三名の命を奪ったのはこの風である。
海上は激浪、猛吹雪となり、視界となり、視界一〇〇米位であった。
○ 急激にヒカタの突風に襲われた場合は、多少遠くても西方に山や岬を負っている入江に避難すべきである。例えば日浦の入江、豊浦(昔の武井泊)、大澗漁港等
②風と天候との関係図(風の名称は各地で若干の違いがある)
風と天候との関係図(風の名称は各地で若干の違いがある)
漁師の命取りの風と言われる。南西(ヒカタ)の突風徴候とその推移(洞爺丸颱風はこれであった。)
海面は南々東の微風 この風が次第に南西に移動する
↓
晴天、微風から突風に変る前は一時無風状態となる
↓
この状態が三、四時間続き急に南西の突風となり、雨や雪をつける
↓
海面は南々東の微風だが上空は南西(ヒカタ)の疾風
③松前地方の昔の風の呼び名
寛政元年(一七八九)菅江真澄が松前地方の船頭から聞いたと言って「えみしのさへき」に書いているもの。
③松前地方の昔の風の呼び名
④風と晴雨の関係
大体ニシヒカタ(西南西)からアイシモカゼ(東北東)までの間の風の場合は晴天である。その逆にアイシモカゼ(東北東)からクダリ(南)、クダリから西に廻ってニシヒカタ(西南西)までの風は曇天又は雨、雪となる。アイシモカゼ(東北東)→ヤマセ(南東)→クダリ(南)→ニシヒカタ(西南西)までは、しけが多く、ニシヒカタ(西南西)→タバカゼ(北の風)の場合は、なぎが多く、ワカメ、コンブ、サルメン、ウニなどの採取及び魚釣りに出漁するのはこの風の日である。特に晴天を必要とするコンブ、ワカメの採取はこの風の日を選ぶのである。
⑤しけの場合の安全な避難場所
ア イ(北東)=西方の入江、又は東方に山や岬を負うている入江
ヤマセ(南東)=東方に山や岬を負うている入江
ヒカタ(南西)=西方に山や岬を負うている入江
小舟で漁撈を行ない、繩とじ船で航海した蝦夷の時代から風波に対する避難については最大の関心を払ったのである。アイドマリ、ヤマセドマリ、ヒカタドマリなどの名のついた入江が全道各地に残っているが、蝦夷時代からそれぞれの風によるしけの際の避難場所として命名されたものである。又オツケという名のついた入江は、アイ波の高くない場合を除くとヒカタでもヤマセでも格好な避難場所である。昔から船入澗、漁港、港等は殆んどアイドマリ、ヤマセドマリ、ヒカタドマリ、オツケ、ベンザイドマリなどの名のつけられた場所に造られ、大しけの場合はそれぞれの風を見て避難港を選ぶのである。
昭和三十八年一月十六日の遭難はヒカタの避難場所として不適当な場所に避難した人々の中から犠牲者が出たのである。思い切って日浦の入江や、大澗漁港に避難した人々は全部難を免れた。
(3)戸井沿岸の海霧
下海岸の人々は海霧をガスと称しているが、このガスに二種ある。一つは尻岸内の恵山沖から戸井の汐首岬沖までの間に季節的に発生する濃霧である。この霧は主に夏期に多く、昔は大小の船舶が針路を誤って沿岸の暗礁に乗り上げたものである。軍艦笠置が女那川沖に坐礁したのもこの霧である。所謂一寸先も見えぬような濃霧である。
この濃霧発生の原因は暖流(黒潮の分流である津軽海流)と寒流(親潮の分流)が津軽海峡の東の入口即ち尻岸内、戸井沖で接触することによるものと考えられていたが、気象庁では原因は未だ不明だと言っている。
もう一つのガスは汐首岬の東側・小安、釜谷・函館・知内、木古内・松前などの沿岸で発生するものである。このガスは津軽海峡の中央を常に西から東に向って流れる津軽海流(暖流)の反流が沿岸に流れ込み、沿岸の冷たい海水、山から吹き下す冷たい風のために蒸発して発生するのである。この霧を蒸発霧と称して前者と区別している。蒸発霧は部分的な小範囲の霧である。
黒潮の分流である津軽暖流に乗って北上したマグロ、ブリなどの暖流性の魚類が汐首沖、日浦沖、尻岸内沖の沿岸近くで漁獲されるのは、反流に乗って沿岸に寄って来たものである。戸井地方で昔海岸の岩の上で、シャクデという長い木の竿でブリを釣ったり、戸井の浜中の沿岸にブリの大群が打ち寄せ大網でブリを大量に漁獲し、「ブリ成金」が出来たということは、ブリが津軽暖流の反流に乗って岸辺に寄って来たことことを物語るものである。
(津軽暖流とその反流については、戸井の海産動植物の項でやや詳しく述べたもので参照せられたい)
(4)最高の千潮について
昭和四十四年五月三日、四日、五日の三日間、私が戸井に住んで三年間で経験したことのない位の異常な干潮があった。
下海岸で生まれ育って長年下海岸で暮した人々でも、多くは経験したことがないだろうと思われる程の異常な干潮であったのである。大地震後の津浪を経験した人々は、津浪の前徴ではないかと疑ったと言っている。
戸井の人々に何故あのような大きな干潮になったのかと聞いても科学的に説明出来る人は居ない。ただ「天気の悪い日は干潮は小さいが、天気のよい日は干潮が大きい」と体験上から知っている程度のものである。
三日間の異常干潮を科学的に説明すると次のようになる。
[潮の満ち引き]
潮の干満は月と太陽の引力によって起り、最高の干潮は望(満月)と朔(新月)の時に起る。各地の満潮、干潮の時刻と水位は天文学的に正確に計算されている。
一年間の満潮と干潮の時刻と水位を計算した表が気象庁から発表されている。試みに昭和四十四年一月から十二月までのものを調べてみたら表の通りであった。
昭和四十四年の干潮の潮位は五月三日→五日までが最低で、干満の差が九四センチ→一〇〇センチで最大であった。
上の表は天文学的に計算した標準的な潮位であるが、気圧によるプラス、マイナスがある。即ち干潮の場合、高気圧の時は更に潮位が低くなり、低気圧の時は高くなる。
体験上から「天気のよい日は干潮が大きく、天気の悪い日は小さい」というのは、このことである。天気のよい日は高気圧、悪い日は低気圧だからである。
五月三日の気圧は一〇二〇ミリバールであった。一ミリバールで一センチ潮位が下るので、標準気圧一〇一三ミリバールより七ミリバール高いので、計算上更に七センチ潮位が下る。即ち五月三日の標準気圧による計算による干満の差九四センチより更に七センチ下り、一〇一センチとなる。この現象を気象学上では「気圧の押し下げ効果」と名づけている。
又、山(陸)の方から風が吹いていると更に潮位が下る。これを「風の吹き寄せ効果」と名づけている。
五月三日、四日、五日の異常干潮現象は本年最高の干潮と干満の差、これに加うるに、高気圧による「押し下げ効果」と陸よりの微風による「吹き寄せ効果」が重なって発生したものである。
一年間の干潮、満潮の時刻と潮位は計算上明瞭であるが、風がアイ(北東)→クダリ(南)→ヒカタ(南西)の場合は低気圧であるので、干潮も干満も標準より小さくなるのである。
(附) 気圧のミリメートルとミリバールの換算法
1気圧(水銀の比重)(重力)(水銀柱の高さ)
13,596×980.6×76÷1000=1013.25 mb
1000mbは750.06mmに相当するから
mmをmbに換算するにはmm×4/3=mb
mbをmmに換算するにはmb×3/4=mm
(例) 750mm×4/3=1000mb
760mm×4/3=1013mb
1000mb×3/4= 750mm
1013mb×3/4= 760mm
このような計算によって換算する。