[下北半島の景勝地と伝説]

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 津軽海峡を夾(はさ)んで、一衣帯水(いちいたいすい)の間にある、下海岸地方と下北地方とは、昔からいろいろな交流があり、石器時代から同一文化圏(ぶんかけん)であり、和人の移住が始ってからは、下北地方の佐井、大間、風間浦(かざまうら)、大畑、田名部(たなぶ)、東通(ひがしどおり)、川内(かわうち)、脇野沢(わきのさわ)などから人々が移住して来た。特に対岸の村々から多くの移住者が来て定着した。
 従って人情、風俗、習慣、言語、文化等殆んど共通である。
 昭和四十六年(一九七一)七月一日から、津軽海峡の最短距離である下海岸の戸井町と、下北半島の大間町との間を結ぶ、東日本海運株式会社のフェリーボートが就航し、約一時間で津軽海峡を渡って対岸に達することができるようになった。戸井からバスで函館市に行くよりも、大間へ行く方が時間がかからないのである。
 これからはフェリーボートによって、対岸同志の人々の往復が年々頻繁(ひんぱん)になるものと思われる。
 歴史的にも地理的にも、親戚同様の下北地方であったが、津軽海峡という障害によって、晴れた日には下北の山山を指呼(しこ)の間に望みながら、人々の往復が制限されていたのである。従って下海岸の人々は案外下北地方の実態を知らないようである。
 これからは戸井の人々も、漁閑期(ぎょかんき)や土曜日、日曜日には、年に幾度か気軽に下北を訪れるようになり、下北地方に親戚、縁戚のある人々は、一層下北訪問の回数が増加するものと思われる。

下北半島の略図

 北海道の和人の歴史の始りは、下国安東盛季やその肉親、親戚、従臣等の渡島からであり、それはコシャマインの乱のあった康正、長禄年間より少し以前からで、僅か五百年よりたっていない。
 然し下北地方には、坂上田村麻呂の東征、源頼義、義家の奥羽の反乱鎮圧、平泉藤原氏の奥羽統治、源頼朝の藤原氏討伐、南北朝抗争などの、古い昔の戦蹟、遺蹟などがある。
 このように歴史の古い下北地方には、道南よりも古い興味ある伝説が数多くある。
 又開発が遅れたために、俗化しない秘境、景勝地が自然のままの姿で多く残されている。近世になって、恐山、楽研(やげん)温泉、湯野川温泉を中心とした地域及び下北半島西海岸の仏ケ浦を中心とした景勝地や秘境が国定公園に指定され、これらの秘境や景勝地をつなぐ道路が整備されつつある。
 蝦夷地の昔から下北地方と最も関係の深かった戸井の人々に、下北地方を認識してもらう資料として、「下北半島の景勝地と伝説」という一項を加えた。