椴法華という地名の由来については、アイヌ語とするもの、日蓮宗の日持上人にその起源を求めるもの、その他に求めるものの三種類の考え方がある。
○北海道蝦夷語地名解 アイヌ語起源説を唱えるものとしては、「北海道蝦夷語地名解」の中で永田方正は次のように述べている。
『TuPoKe'トーポケ、岬陰又ハ岬下トモ、『ト』ハ『エト』ト同ジ鼻、即ち岬ノ義、『エト』ヲ『ト』ト云フハ厚岸及十勝『アイヌ』モ云フ辞ナリ、今椴法華村ト云フ日蓮宗ノ僧侶始テ此處ニ來航シ、法華宗ヲ開キシ處ト云フハ最も愚ナル付会説ナリ。』
同じくアイヌ語説をとるものに、著者不詳ではあるが江戸時代に記された「蝦夷地名解」がある。同書によれば椴法華の地名について次のように述べている。
トトホツケ、夷語ヅウ・ボキなるべし。『ツウ』とは崎々と申事又は山と申事、『ホキ』と陰と申事にて崎々の陰と訳す。
此所崎のかげの村なるに依て号し候哉
右の二つの説を受け入れたものと思われるが、大正十一年十月一日発行の「椴法華村勢一班」では、椴法華の地名について次のように説明している。
往古ノコトハ元ヲ知ルニ由ナキモ本道ノ未タ蝦夷地ト称セラレシ頃ハ『トトポケ』(土人語ニシテトドハ鼻即チ出岬ノ義ポケハ蔭トイフ義ナリ)ト称シ土人ノ部落タリシコトハ口碑傅説ニ依リ疑ヲ容レザル処ナリ
この地名起源に対する考え方は、以後現在に至るまで村の公的印刷物に使用されている。