明治七年

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・一月十八日 戸井・砂原・森に海関所出張所が設置される。
・一月十八日 板垣退助ら民選議院設立建白書を提出する。
・三月 佐賀の乱により米価高騰する。
・六月八日 恵山噴火。
 この日午後六時頃突然恵山の旧噴火口が大音響とともに激しく煙を吹き出し、今にも爆発しそうな状態となり、村民は不安と恐怖の極に置かれていたが、六月九日午前二時頃から追々静かになり、村民一同はようやく安堵したと当時の記録(明治七年申奏録上より略記)は記している。また村の古老はこの時のことを『前山の釜が壊れるといって元椴法華の村人達が逃げ出した』と云い伝えている。

恵山噴火 明治7年申奏録上(北海道立文書館蔵)

・六月二十三日 北海道に屯田兵制度が創設される。
・十月二十二日 開拓使函館支庁は人身の障害となるため、昆布着色のため緑青銅屑等を使用することを禁止する。
 清国輸出向けの刻昆布は緑色が非常に好まれたため、種々の方法で着色が試みられたがいずれも人身に害を及ぼすものが多かった。中でも刻昆布を製造する過程で約十六貫目(六十キログラム)の昆布に、水一石五斗(二百七十リットル)溶解下等緑青二升(三・六リットル)をまぜ、銅製の鍋で煮れば容易に緑青に着色されたが、これは危険であり禁止されることになったものである。
・十月二十九日 函館・青森間電信開通。
・十二月十二日 漁場・昆布場を自費を以て開拓したる者は、五年間免税とすることが定められる。
・この年、南部の人及川某、恵山温泉を経営する。『尻岸内町史』では、中川某という医者が恵山山頂に温泉を営むとある。
・この年、尻岸内村より椴法華村まで四人乗船賃一隻七十二銭・舟子一人十八銭、陸路が充分でないため、天候のよい日は便利な海路が利用されていた。なおこのほかに椴法華から古部・尾札部方面へも搔送り船があった。