明治十七年

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・一・二月 鱈大不漁、例年の五分の一となり、このため春より出稼者続出する。
・二月七日 椴法華村銚子崎において玄徳丸六十石積破船する。
・春 茅部鰊大不漁となり臼尻砂原方面の漁民より只困難の声を聞くのみの状況となる。
・五月 茅部地方の鰊漁不振のため、同地方では米を買うことにも困難する者が出る。
・五月十三日 函館県漁業組合条例を布達する。この条例に基づき九月椴法華村漁業組合申合規則草案が函館県に提出され、明治十八年一月椴法華村漁業組合申合規則が認可される。
 この時、椴法華村漁業組合の目的とするところは、水産物の乱獲・粗製の悪習を予防し将来の殖産改良の方法を計画し、かつ漁業者の勝手な漁業及び販売行為を取り締り、漁業の隆盛を計ろうとするものであった。
・六月二十三日 清仏戦争始まる。
・八月二十六日 清国、フランスに宣戦を布告する。このため清国向け海産物である昆布・いりこ・鯣等の値が下がり、下海岸地域住民の生活が心配される。
・九月 清国商人、昆布・鯣を買い集めはじめ、このため海産物の価格が上昇、三ツ石・浦川・様似産の昆布は百石に付四百五十円となる。また鯣も値上りし百斤に付八円となる。八月の昆布採集時期暴風が続き昆布の収獲量が少ないことから、その後も更に上昇が続きそうな様子となる。
・九月 鮪大漁、このため鮪値下りし大物一尾五・六十銭となる。臼尻付近では駄送賃にもならぬと漁業関係者はなげいていたと云われている。(この部分明治十七年九月の函館新聞記事を参照とする)
・この年、渡島地方極めて天候が悪く未曽有の凶作となる。特に渡島地方の米作の被害が多く、このため冬には『天保の飢饉』の時のように、蕨根を掘り辛うじて糊口を凌ぐ者も出現したと云われている。
・この年、根田内・椴法華間境界争い発生する。
・この年、前年に続き道内不景気
・明治十七年の椴法華村勢
 
    明治十七年
  徴發物件諸表
      函館県 兵事課
              (北海道蔵)
   戸長役場所在地 椴法花村
   村名   椴法花村
   戸數   一〇一
   人口   男三五〇 女三一〇 合計六六〇
   各戸坪数合計  一、九六八
   厩圍・倉庫       六
   職工          五
   官廨          二
   社寺          二
   学校          一
   人夫         七五
   乗馬          三
   駄馬         四七
   馬合計        五〇
   物産     薪 六万三千八百貫目
          炭 五千六百貫目
   日本形船舶表 亀田郡椴法花村戸長役場
    五拾石以上商船 なし
    艀漁船及海川小廻船

[図]