・この夏、下海岸漁民の一部に利益を求め干燥不良の昆布や品質粗悪の昆布を、梱包の際良質昆布の中に入れ込む(普通中込とよばれている)者があり、このため昆布の値段が下落し良心的漁民が大変迷惑をこうむる。
・八月 椴法華村では従来の手繰昆布中心の生産より長切昆布中心の生産に切りかえられる。(手繰昆布→根元と先より順に折り始め中央に至り二つ折とし結束するもの。椴法華村漁業組合申合規則では、『手繰昆布ハ竿前収獲ノ日ヲ夏土用前二十日ト豫定シ元揃昆布ハ夏土用入一日前ト豫定ス」とある)
その理由としては、手繰昆布として生産された場合、あまり販路がなく値段も安かったので、長切昆布として生産した場合、需要が多く値段も高かったことが上げられる。
改良が行われた結果この年の椴法華産の昆布は、評判がよく従来に比較して清国商人達も大いに買入れるようになったといわれている。
椴法華産長切昆布の値段(明治十八年)
・十月三日 函館警察署尻岸内分署開設され三名の警察官が配属となる。
この時椴法華村・尻岸内村・戸井村・小安村は同署の管轄下に属することになる。(明治二十年五月十九日まで)
・この年夏、鰮豊漁・昆布豊漁、その後烏賊豊漁と続き村内の景気良好となる。
春から日本全体では物価が低落し不景気であった中で、椴法華村が好景気となったため、村民の中には成金になったような気持になり、金銭を浪費してしまう者もあったと云われている。
(参考)函館の烏賊値段
生いか 十銭で晴天 四十尾→七十尾
雨天 百二十尾→百四十尾
高値の時 二十一・二尾
スルメ一把(二十枚) 八銭五厘→十銭
『函館の履歴書』による
・この秋、鰮大不漁となる。
・この年あたり、椴法華村では曳網・差網を使用し鰤漁を行う。
・この年より、従来の官営の駅逓制度が廃止され民営の駅逓となる。
このことにより村民はやっと江戸時代の『助郷』制の一部であった人足・馬の強制提供の制から解放されることになった。