明治四十年代初頭の椴法華村の商業状況について記した資料が得られないので、ほぼ同じ状況と考えられる尾札部村の商業狀況について『渡島国状況報文・茅部郡各村』より要約して記す。
商業
明治三十九年末に於て村内物品販売業者七十三戸ありと雖も何れも皆些々たる小売をなすものにして手廣く營業し居るものは数ふるに足らす商品の仕入先は悉く函館にして唯村内の需要に應するのみ物價は一般に高直(ママ)にし隣村椴法華に比するも一割位の高直を示し函館に比しては二割内外の高價ならんと云ふ物品は概ね貸賣をなし例年昆布時(旧八月下旬)鱈仕舞(旧十二月)の二期を以て精算す商況繁忙を極むるも此二期にして春期壮者の出獲後は頗る寂莫を極め往々店を閉ちて畑作に從事するものありと云ふ。
當地の小漁民は概ね所謂親方持にして村内の漁業親方より米噌の供給を仰き海産物は時相場より五分乃至一割下けにて渡すを以て此等海産物は多く親方等の手に纒められ更に函館に出して委托販賣をなし若くは函館より來れる仲買人に賣却するなり、又近年室蘭に輸出するものあり當村漁業親方は仕込を受くるもの殆んとなく僅に川汲に二三名あるに過きす此等親方は概ね物貨を直接函館より買取るも其他のものにて直接買入るものは甚だ稀少なり。