渡島東部消防事務組合の設立

1087 ~ 1089 / 1354ページ
 下海岸地域の消防団は相互応援体制をとっていたことは、前にも記したとおりであるが、昭和四十年代後半になり、ますます近代装備による常設消防の設置が強く望まれるようになった。
 すなわち沿岸漁業が種々の要因により衰退し、これに伴って下海岸地域では、昆布・いかの時期のみ在村し、あとは長期的に出稼ぎに出る者が多く、更に青年労働者の都市流出が続いたため、消防団員の確保は次第にむずかしい状態となりつつあった。一方、住民の生活は年々向上し、石油・プロパンガスの使用・家庭の電化・新建材の使用・建造物の高層化が進んだ結果、消防装備の近代化が求められるようになり、消火方法もまた従来の水中心の消火方法に化学的消火方法を加える必要が生まれ、これに伴って消防士は各種の専門知識や技術を要求されるようになった。
 しかし小さな町村において常に必要消防士及び消防装備を確保しておくことは、財政的にも人的にもむずかしい状況であり、このため消防事業を他町村と共同で処理する組織が益々必要となった。
 このような気運の中で、遂に昭和四十九年四月一日、「渡島東部消防事務組合」が設立された。
 構成町村(砂原町・鹿部村・南茅部町・椴法華村・尻岸内町・戸井町)

渡島東部消防事務組合機構