このような地域住民の強い声が中央に届きついに昭和二十六年九月五日函館海上保安部椴法華分室が開設され、翌六日には椴法華分室に待望の救助艇「あかし」が配属されることになった。
昭和二十六年十月二日付の北海道新聞は保安部椴法華救命艇基地開所の様子を次のように記している。
魔の潮、恵山岬を走る。
救命艇配属する
保安部椴法華分室きのう開所
椴法華、尻岸内、臼尻、戸井、鹿部、砂原、尾札部など道南各漁村から待望久しかったライフ・セービング・ステーション(救命艇基地)として小型漁船の遭難、救助を対象に本道に初めて設置された函館海上保安部椴法華分室は、救命艇"あかし"(一〇トン)の到着でいよ/\活動を開始することになり、その開所式が一日午後一時三十分から小雨にけむる同村字元村の船入場に設けられた新設ボート・ハウス(四十七坪)で盛大に挙行された。
津軽海峡の東端に位する恵山岬付近は潮流の烈しさにもかかわらず盛漁期になると数千隻の漁船が各地から密集、その通過量も全道一といわれ、それだけに衝突、座礁、機関故障などによる遭難件数もきわめて多く尾札部、恵山、古武井、日浦にかけての昨年年間の遭難実数は八十七隻、一千二百四十九トン(うち四十七名行方不明)今年七月から八月末までの間でもすでに二十一隻二百六十八トン(うち行方不明一名)に上っているが、これに対処するため函館海上保安部が小樽第一管区保安部の指示により函館、上磯を含む一市一町八ヵ村からなる分室期成同盟会及び同村漁民有志の協力を得て四月末以来七月までに総工費約一千五百万円で同地にボート・ハウス(七・五馬力のモーターで台車に乗せて艇を出し入れする新型艇庫)見張所、宿舎(五十八坪)など諸設備を完成。石巻で建造された"あかし"(乗組員四名)も九月十五日に函館に回航、約十日間にわたる現地訓練を終えてここに遭難による犠牲者一掃の力強いスタートを切ったわけである。
この日、式場には松坂椴法華村長、川口同村漁業協同組合長、鈴木恵山岬燈台長など地元民代表に小樽第一管区保安本部松崎部長、函館から早朝海上保安部巡視船だいおうで乗込んだ仲西保安部長、鹿児島海難審判庁長、相馬渡島支庁長、宗藤分室期成同盟会長(代理菅原函館市経済部長)に来賓のCICターナー大尉の顔もみえ総勢約百名が参集、松崎部長の式辞、管区本部係官の工事報告、道知事、道議会議長、函館市長、渡島支庁長らの祝辞に管区本部長から地元村長他への感謝状授与などがあり式を終了、ついで同二時半から村民の拍手と歓声を浴びてこの日のスター"あかし"が元村船入場に船体を現し付近を一巡、村民有志の演芸会やNHKの現地座談会、録音などもあり同四時過ぎ盛況裏に閉会した。
なお十一月中には、日下石巻山西造船所で建造中の救命艇"ふたみ"(あかしと同型)が回航され、分室長以下十二名が常時待機するが、大体恵山岬を中心に北西尾札部、南西汐首岬にかけて半径約二十マイルの海面にまたがり活躍する。