[続繩文時代]

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 西日本に弥生文化が流入して、その勢力が東北地方まで及んだ頃の約二千年前は、北海道においては繩文時代の伝統を強く残した続繩文文化が栄えた。この文化は、石狩低地帯を境として渡島半島に恵山式土器文化、他の地域に後北式土器文化があり、時間的には後北式土器文化が後続するものである。
 恵山式土器文化は優れた海洋民族文化であり、漁撈を中心とした経済基盤をもち、精巧な骨角器である銛や釣り針などが数多く製作された。
 これら骨角器は金属器による彫刻が施され、まだ金属器の発見はないものの、明らかに、この時期に北海道においても金属器が使用されていたことを物語るものである。

第49図 遺跡分布図(続繩文時代)

 この文化の代表遺跡として恵山貝塚が著名であり、南茅部町においては美呂遺跡、見日遺跡などがある。繩文時代は弥生時代に対応する時代であるが、まだ石器も使用しており、特徴的なものは太い柄のあるナイフ、片刃の手斧などのほか、用途不明のものとして魚形石器がある(第五三図)。
 土器は弥生式土器の影響を強く受け、薄手で焼きの硬い、沈線を主体とするものであるが、胴部には縞繩文と呼ばれる繩文が施されるものが一般的である。この文化の住居はまだ竪穴式住居であり、円形のプランに方形の石組炉を有し、入り口部と考えられる舌状の張り出しをもつものである。
 また、墳墓は楕円形の掘り込みの中に、土器やナイフ、石鏃、玉、魚形石器などを副葬するものが一般的であるが、住居や墳墓は南茅部町での発見例はない。

第50図 続繩文時代の土器


第51図 続繩文時代の土器


第52図 続繩文時代の土器


第53図 魚形石器


第54図 アイヌ墳墓