大正三年、岡本忠茂ほか一六人が発起人となり、一一月、函館海産商同業組合が創設された。初代組合長は石塚弥太郎。函館の全盛期である。海産商三百軒といわれた時代である。同一三年、函館海陸物産仲立商組合を併合。
浜値段(はまねだん) 市場原価のこと 口銭諸掛を含まない値段。
乗(のり)値段 船・車積込みまでの一切の費用は売主負担とする値段。
運賃込(うんちんこみ)値段 着渡し・仲渡しまたは着駅レール渡しともいい、運賃を含めた値段。
着(ちやく)値段 運賃込値段に保険料・荷為替打歩を含んだ値段、但し着駅荷扱手数料艀賃は含まない。
委託を受けた海産物の売買手数料は代金の二分五厘とされた。沖立口銭・荷造りその他諸掛は、海産物の種類により多少の増減があった。このほか入目と風袋(ふうたい)を差し引いた。
大正四年六月一五日の函館新聞は、陸海産物仲立業の盛況ぶりを伝えている。
組合を組織してその筋の認可をえたのは、明治三八年である。組合員が各々五十円の信用金を積立てて、営業上の利益を計るとともに、仲立商行為の信用と徳義の保持につとめる。認可の当時、四十八人で現在は百五人。海産物商は二百余人いたというから約半数が加入していた。
一年数千万円の取引は、必ず仲立業を経ることになっている。この浜の仲買は一風変わった気質があって、甚だ任侠に富んでいる。仲立業は、絶対信用が基礎である。日魯漁業会社専属仲買は、五千円の信認金を納める。仲買手数料は米穀百石に五円、海産物取引高の一分、肥料百石に五十円とした。
この海産物(海陸産物)仲立業組合員百五人は、純金の指輪を記章としていた。
海産商の店舗は、東浜町・船場町・豊川町・汐留町に多かった。道内一円・千島・樺太の海産が函館港に集散し船の出入に賑わった。
太平洋戦争前、昭和一一年、函館の海産商業界案内(函館日日新聞)により海産商の町名別・創業年代別・取扱品と販路のあらましを知ることができる。
昭和一一年 函館海産商(町名別)一覧
店名 | 店主名 | 住所 | 創業年月 | 取扱商品 | 販路 | 収益税 | 決算額純利益 |
円 銭 | 円 | ||||||
田 端 商 店 | 田 端 一 郎 | 西 浜 町 | 明治一五年 | 海産物一般雑穀 | 道内樺太擇捉 | 一九・八〇 | 九〇〇 |
西 口 商 店 | 西 口 宗 良 | 仲 浜 町 | 明治二五年 | 塩干魚米穀 | 日高十勝方面 | 四二・八〇 | 一、八〇〇 |
石 塚 商 店 | 石 塚 弥太郎 | 東 浜 町 | 明治二五年 | 魚肥油塩干魚 | 本道一円 | 二六一・二四 | 一〇、二〇二 |
海草 | |||||||
奥 村 商 店 | 奥 村 順 司 | 〃 | 明治四五年 | 塩乾魚 | 内地一円朝鮮大連 | 二二・〇〇 | 一、○○○ |
大 谷 商 店 | 大谷合名会社 | 〃 | 昭和一〇年 | 乾魚貿易品 | 関西九州台湾 | ||
(会社組織) | 海草 | ||||||
若 林 商 店 | 若 林 乙 吉 | 東 浜 町 | 大正一一年 | 干魚海草肥料 | 道内一円 | 一九・八〇 | 九〇〇 |
川 端 商 店 | 川 端 石太郎 | 〃 | 明治二四年 | 海産物一般米穀 | 本道樺太択捉 | 四八・〇〇 | 二、〇〇〇 |
田 中 商 店 | 田 中 幸 平 | 〃 | 明治 六年 | 魚肥油塩乾魚 | 地場 | 九四・〇二 | 三、七七〇 |
貿易品一切 | |||||||
武 内 商 店 | 武 内 時 三 | 〃 | 明治二〇年 | 乾魚魚肥 | 道内内地 | 八・八〇 | 四〇〇 |
海草其他加工 | |||||||
前 田 商 店 | 前田 嘉左衛門 | 〃 | 明治一二年 | 塩乾魚油 | 京阪地方大連 | 二二・七〇 | 一、〇三〇 |
船 木 商 店 | 船 木 徳 松 | 〃 | 明治二〇年 | 魚油塩魚鰊製品 | 関東~関西 | 一三六・六六 | 五、四一〇 |
東北地方一円 | |||||||
小 林 商 店 | 小 林 録太郎 | 〃 | 明治一三年 | 海草乾魚貿易品 | 上海香港南洋台湾 | 六七・七六 | 二、七六〇 |
朝鮮内地一円 | |||||||
阿 部 商 店 | 阿 部 彦 七 | 〃 | 明治三一年 | 乾魚魚肥 | 内地道内台湾香港 | 四八・〇〇 | 二、〇〇〇 |
上海 | |||||||
崎 田 商 店 | 崎 田 耕 三 | 〃 | 昭和 五年 | 海草昆布乾魚 | 内地一円朝鮮大連 | 一六五・五二 | 六、五二〇 |
北 出 商 店 | 北 出 徳太郎 | 〃 | 明治四三年 | 塩乾魚貿易品 | 内地一円香港上海 | 一九・八〇 | 九〇〇 |
台湾 | |||||||
三 熊 商 店 | 三 熊 長 吉 | 〃 | 大正 五年 | 塩干魚海草魚卵 | 本道内地朝鮮 | 一二・五四 | 五七〇 |
柴 田 商 店 | 柴 田 家 光 | 〃 | 明治四〇年 | 海草塩乾魚 | 道内一円 | 二七・九八 | 一、二三〇 |
新 谷 商 店 | 新 谷 末 吉 | 〃 | 明治四〇年 | 魚肥魚油 | 内地一円 | 二三・五六 | 一、〇六〇 |
塩乾魚一切 | |||||||
須 藤 商 店 | 須 藤 納 | 〃 | 大正 五年 | 魚肥油外一般 | 内地道内 | 三三・七〇 | 一、四五〇 |
関 山 商 店 | 杉 村 福 松 | 〃 | 大正一二年 | 塩干魚貿易 | 内地各地関東洲 | 八・八〇 | 四〇〇 |
杉 村 商 店 | 鈴 木 安太郎 | 〃 | 明治一七年 | 貿易品塩乾魚 | 本道一円 | 三三・七〇 | 一、四五〇 |
海草類其他一切 | |||||||
堀 商 店 | 堀 文 吉 | 船 場 町 | 明治四一年 | 魚肥塩乾鮮魚 | 地場 | ||
(昭和六年 | 貿易品 | ||||||
合資会社) | |||||||
布 目 商 店 | 布 目 正 | 〃 | 明治四三年 | 魚肥油 | 内地一円 | 一七・六〇 | 八〇〇 |
小 川 商 店 | 小 川 佐 助 | 〃 | 明治二〇年 | 塩乾海草類 | 内地一円道内 | 八・八〇 | 四〇〇 |
川 名 商 店 | 責任者 野田 源 | 船 場 町 | 明治四三年 | 魚肥雑穀 | 内地各地 | 一一・〇〇 | 五〇〇 |
加 藤 商 店 | 加 藤 作次郎 | 〃 | 昭和 九年 | 貿易品塩乾魚 | 道内内地一円 | 八・八〇 | 四〇〇 |
肥料海草 | |||||||
上 野 商 店 | 上 野 貞太郎 | 〃 | 不 詳 | 魚肥油 | 内地一円 | ||
柳 沢 商 店 | 柳 沢 善之助 | 〃 | 大正 四年 | 貿易品塩乾魚 | 内地一円支那台湾関 | 七三・ニニ | 二、九七〇 |
海草類一般 | 東洲朝鮮満洲 | ||||||
八 幡 商 店 | 八 幡 栄 治 | 〃 | 明治三五年 | 塩乾魚外一般 | 地場 | ハ・八〇 | 四〇〇 |
山 路 商 店 | 山 路 富次郎 | 〃 | 大正 二年 | 魚肥油フィッシ | 北海道内地一円 | 九八・一〇 | 三、九二七 |
ュ・ミール | |||||||
前 商 店 | 前 佐 市 | 〃 | 明治三二年 | 肥料塩乾魚 | 内地道内 | 二九・八〇 | 一、三〇〇 |
貿易品 | |||||||
藤 野 商 店 | 藤 野 平太郎 | 〃 | 大正 三年 | 肥料魚油干魚 | 道内樺太一円 | 一五・四〇 | 七〇〇 |
貿易品一切 | |||||||
小 林 商 店 | 小 林 忠 治 | 〃 | 明治四二年 | 塩乾魚海草 | 本道一円 | 四〇・七二 | 一、七二〇 |
貿易品 | |||||||
近藤合資会社 | 近 藤 孫三郎 | 〃 | 大正 元年 | 魚肥油海草乾魚 | 道内樺太択捉 | ||
小 山 商 店 | 小 山 與四郎 | 〃 | 明治三六年 | 日魯製品 | 専属仲買 | 三八・九〇 | 一、六五〇 |
安 達 商 店 | 安 達 愛 治 | 〃 | 明治 五年 | 魚肥油塩乾魚海草 | 道内内地一円 | 七六・六〇 | 三、一〇〇 |
小 幡 商 店 | 小 幡 鑑 三 | 〃 | 大正 二年 | 乾魚貿易品 | 内地大連上海香港シ | ||
ンガポール其他 | |||||||
石 井 商 店 | 石 井 鉄太郎 | 豊 川 町 | 明治二〇年 | 魚肥油乾魚 | 地場 | 二九・八 | 一、三〇〇 |
貿易品 | |||||||
石 塚 商 店 | 石 塚 七 郎 | 〃 | 大正 元年 | 塩乾魚筋子 | 内地本道一円 | 一二・五四 | 五七〇 |
貿易品 | |||||||
石 山 商 店 | 石 山 芳 彦 | 〃 | 大正一五年 | 塩乾魚筋子 | 内地各地 | 八・八〇 | 四〇〇 |
岩 瀬 商 店 | 岩 瀬 助 蔵 | 〃 | 不 詳 | 塩干鮮魚 | 内地北海道 | 一九・八〇 | 九〇〇 |
花 巻 商 店 | 花 巻 誠太郎 | 豊 川 町 | 大正 五年 | 乾魚貿易品 | 内地一円朝鮮 | 一一・六六 | 五三〇 |
橋 本 商 店 | 橋 本 正 一 | 〃 | 明治二〇年 | 魚肥海草貿易 | 道内一円 | 五〇・六〇 | 二、一〇〇 |
乾魚一切 | |||||||
庭 山 商 店 | 庭 山 百々治 | 〃 | 昭和 三年 | 塩乾魚 | 内地一円 | 二五・三八 | 一、一三〇 |
本 間 商 店 | 本 間 文 治 | 〃 | 昭和 七年 | 塩乾魚魚肥 | 樺太本道一円 | 八・八〇 | 四〇〇 |
時 田 商 店 | 時 田 義 雄 | 〃 | 大正 元年 | 塩乾魚筋子 | 内地本道樺太 | 八・八〇 | 四〇〇 |
徳 田 商 店 | 徳 田 安 吉 | 〃 | 文政 四年 | 魚肥油 | 地場近海 | 二六・九四 | 一、一九〇 |
塩鮮乾魚海草 | |||||||
大 場 商 店 | 大 庭 庄 松 | 〃 | 大正一四年 | 塩乾魚米穀 | 内地 | 一五・四〇 | 七〇〇 |
大 塚 商 店 | 大 塚 善 松 | 〃 | 明治二五年 | 塩鮮魚 | 東京大阪道内 | 八・八〇 | 四〇〇 |
大 淵 商 店 | 大 淵 三 太 | 〃 | 大正 五年 | 塩乾魚貿易品 | 内地一円朝鮮満洲 | 一二・五四 | 五七〇 |
及 川 商 店 | 及 川 栄之助 | 〃 | 明治 九年 | 塩鮮乾魚類 | 内地本道各地 | 一三・二〇 | 六〇〇 |
尾 形 商 店 | 尾 形 藤三郎 | 〃 | 本店明治五年 | 海草乾魚類 | 内地支那満洲朝鮮 | ||
支店昭和三年 | |||||||
若 林 商 店 | 若 林 吉 松 | 〃 | 大正 四年 | 塩干魚肥料 | 道内樺太 | ||
川 端 商 店 | 川 端 徳 松 | 〃 | 明治三七年 | 塩干魚貿易 | 関東新潟方面北海道 | 六三・六〇 | 二、六〇〇 |
樺太択捉朝鮮 | |||||||
吉 田 商 店 | 吉 田 健次郎 | 〃 | 明治三八年 | 鮮魚買付小売 | 東京関西方面 | 一九・八〇 | 九〇〇 |
吉 田 商 店 | 吉 田 鉄次郎 | 〃 | 明治四三年 | 鮮魚塩干魚 | 関東関西東北 | 一七・六〇 | 八〇〇 |
北海道 | |||||||
高 村 商 店 | 高 村 善太郎 | 〃 | 明治三〇年 | 魚肥油塩乾魚 | 内地一円 | 四八・〇〇 | 二、〇〇〇 |
鮮魚筋子 | 海外満洲其他 | ||||||
谷 口 商 店 | 谷 口 繁 雄 | 〃 | 大 一二年 | 塩乾魚貿易品 | 道内東北方面 | 八・八〇 | 四〇〇 |
田 村 商 店 | 田 村 美 代 | 〃 | 明治一五年 | 魚肥海草 | |||
貿易乾魚 | |||||||
田 辺 商 店 | 田 辺 常 吉 | 〃 | 明治四〇年 | 鮮魚塩乾魚 | 関東関西 | 二二・〇〇 | 一、〇〇〇 |
高 内 商 店 | 高 内 菊太郎 | 〃 | 大正 五年 | 魚肥乾魚貿易品 | 内地一円 | 一一・六六 | 五三〇 |
土 田 商 店 | 土 田 直三郎 | 豊 川 町 | 昭和 七年 | 乾魚塩魚 | 内地一円 | 八・八〇 | 四〇〇 |
仲 商 店 | 仲 伊三郎 | 〃 | 明治二七年 | 塩干肥料 | 内地満洲 | 一二・五四 | 五七〇 |
魚油海草 | |||||||
野 村 商 店 | 野 村 甚 作 | 〃 | 大正 五年 | 肥料乾魚 | 本道一円 | 一五・四〇 | 七〇〇 |
栗 山 商 店 | 栗 山 虎次郎 | 〃 | 明治四〇年 | 塩乾魚 | 地場 | 一一・〇〇 | 五〇〇 |
保 田 商 店 | 保 田 弥 十 | 〃 | 明治三七年 | 海草乾魚 | 内地上海香港 | 二八・三八 | 一、二四六 |
魚肥貿易品 | |||||||
山 田 商 店 | 山 田 久 治 | 〃 | 昭和 二年 | 貿易品乾魚海草 | 道内一円 | 八・八〇 | 四〇〇 |
松 田 商 店 | 松 田 キ ミ | 〃 | 明治 五年 | 塩乾魚貿易品 | 内地海外 | 八・八〇 | 四〇〇 |
前 田 商 店 | 前 田 豊 治 | 〃 | 昭和 八年 | 海草昆布 | 朝鮮内地 | 一〇〇・七八 | 四、〇三〇 |
正 壽 商 店 | 村 山 四 郎 | 〃 | 大正 二年 | 塩魚魚肥油塩辛 | 東北地方信州奉天 | 一二・五四 | 五七〇 |
粕漬焼竹輪 | 満洲一円 | ||||||
寺 尾 商 店 | 吉 原 助次郎 | 〃 | 明治 三年 | 塩乾魚貿易品 | 台湾朝鮮香港上海 | ||
南洋 | |||||||
相 原 商 店 | 相 原 米 吉 | 〃 | 大正 三年 | 塩乾魚貿易品 | 本道一円 | 一三・二〇 | 六〇〇 |
赤 塚 商 店 | 赤 塚 仁 助 | 〃 | 昭和 八年 | 乾魚海草 | 地場樺太 | ||
佐 藤 商 店 | 佐 藤 十五郎 | 〃 | 明治一五年 | 塩乾魚貿易品 | 内地本道樺太 | 三八・六四 | 一、六四〇 |
桜 井 商 店 | 桜 井 鶴 松 | 〃 | 昭和 九年 | 貿易品其他乾魚 | 内地台湾朝鮮支那 | 八・八〇 | 四〇〇 |
満洲 | |||||||
佐々木 商 店 | 佐々木 米 吉 | 〃 | 大正一二年 | 塩乾魚 | 内地一円 | ||
木 村 商 店 | 木 村 文次郎 | 〃 | 大正 五年 | 塩乾魚魚肥油 | 道内樺太 | 一五・四〇 | 七〇〇 |
毛 利 商 店 | 毛 利 甚兵衛 | 〃 | 明治一三年 | 塩乾魚海草類 | 内地台湾上海 | 一三四・五八 | 五、三三〇 |
香港 | |||||||
森 商 店 | 森 大 作 | 豊 川 町 | 明治三〇年 | 肥料海草塩乾魚 | 内地道内朝鮮満洲 | 一三・二〇 | 六〇〇 |
鈴 木 商 店 | 鈴 木 安太郎 | 〃 | 大正 三年 | 塩乾魚乾魚魚油 | 内地一円海外 | 二二・〇〇 | 一、〇〇〇 |
尾 関 商 店 | 尾 関 新 助 | 汐 留 町 | 昭和 七年 | 塩乾魚筋子水産 | 内地朝鮮満洲 | 八・八〇 | 四〇〇 |
加工品一切 | |||||||
鍜 治 商 店 | 鍜 治 常太郎 | 〃 | 昭和 九年 | 乾魚海草貿易品 | 内地朝鮮 | 八・八〇 | 四〇〇 |
吉 田 商 店 | 吉 田 吉 松 | 〃 | 大正一二年 | 海草類全般 | 道内関西地方台湾 | 一一・〇〇 | 五〇〇 |
熊 倉 商 店 | 熊 倉 康 二 | 〃 | 大正一〇年 | 塩乾魚海草筋子 | 内地一円 | 二三・五六 | 一、〇六〇 |
佐 藤 商 店 | 佐 藤 武 雄 | 〃 | 大正 五年 | 塩乾魚筋子 | 内地台湾朝鮮満洲 | 四六・七〇 | 一、九五〇 |
魚肥油 | 関東州 | ||||||
佐 藤 商 店 | 佐 藤 清五郎 | 〃 | 昭和 三年 | 塩魚筋子類 | 内地一円 | 八・八〇 | 四〇〇 |
女 川 商 店 | 女 川 仙一郎 | 〃 | 大正一二年 | 切鯣 | 関東関西朝鮮 | 九・九〇 | 四五〇 |
瀬 戸 商 店 | 瀬 戸 重太郎 | 〃 | 明治三〇年 | 塩乾魚 | 本道一円 | 三五・〇〇 | 一、五〇〇 |
工 藤 商 店 | 工 藤 吉 蔵 | 若 松 町 | 明治四〇年 | 塩乾魚海草肥料 | 地場 | ||
戦争が始まると、すべての物資は統制経済下におかれた。
統制価格が定められ、海産物も大別された規格となった。委託経済時代に比べて価格が固定したが、物資の流通は定められた機関が取扱うようになっていった。
統制をのがれて売買するものがあり、闇取引として取締りをうけた。闇取引は摘発されたら没収されて刑罰の処分をうけた。
戦後、物資は一層不足して海産物は闇値で売買されるものが多かった。昭和二四年、統制が撤廃されて自由経済が復活すると、海産商も新しい時代の活躍をし始めた。
このとき新しい水産協同組合法による漁業協同組合が設立した。漁協による信用部の金融関係も次第に円滑になっていく。漁家の生産物は次第に組合の一元集荷が効果を挙げるようになる。かつての委託販売による海産商の経営法は変わっていく。明治・大正・昭和初期まで続いた道内、北洋の海産物が函館に集散した時代は、こうして大きな変遷をむかえた。